さらにいうと、慶應の入試の場合、英語でも、小論文のセンスに通じる読解力や論理的思考力は、かなり重要な要素だ。実は、ビリギャルの本命だった慶應文学部の入試の英語は超長文1題で辞書持ち込み可という特徴がある。つまり、英語力ももちろん必要だが、単に英単語をたくさん暗記しているということ以上に、読解力が求められているのだ。合格した総合政策学部の英語も文学部ほどの長文ではないが、やはり読解力を要する問題。ある程度、英語力を伸ばせれば、小論文のセンスがあるビリギャルには、かなり相性のいい試験だったはずだ。
実際、著者も「過去の入試問題を解いた結果を考えると、さやかちゃんが受かるとしたら、この学部(=慶應文学部)」「文学部の過去問は9割以上取れていた」などと慶應文学部の問題とビリギャルの相性の良さを語っている。
高2夏の段階から慶應に狙いを定め他科目を捨て、1年半で英語1科目だけにしぼって偏差値を上げるというのは、そこまで難しい話ではないのではないか(事実、ビリギャルの母親は受験に関係ない学校の授業では娘の居眠りを許容しろと学校に直談判までしている)。
中高一貫の進学校でビリのギャルが、高2の夏から1年半勉強して英語の偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話。それが、この奇跡の感動物語の本当のところだ。
実際、同書で紹介されている勉強法をひとつひとつ読んでみても、特別、画期的なものではなく、よく言えばオーソドックス、ハッキリ言えば普通のものばかり。
たしかにそのオーソドックスな勉強法を実際にやり続ければ、成績は上がるだろう。むしろ、問題はそれを1年半もやり続けられるかどうかで、普通は続かない。それをやらせたのが、この本の著者である塾講師だろう。
ただ塾は、公教育でも慈善事業でもないわけで、通うのは、もちろんタダじゃない。当然お金がかかる。
「彼女が高校3年生に上がろうとする頃のことでした。そこで、僕は、無制限コースという、日曜を除けば塾へ毎日来られる学習コースを、さやかちゃんに勧めます。ただ、それには当時の塾に、百数十万円というまとまったお金を前払いしてもらう必要がありました」
百数十万円! いくら毎日通えるといっても、相当な高額だ。中学から私立に通わせたうえ、塾に百数十万円ぽーんと払える家庭など、そう多くはないだろう。