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愛川欽也が小説にしていた「出生の秘密」 父親のいない家庭、そして母親との別れ…

〈目がさめると昼だった。「お腹空いたろ。出来てるよ」小さなお膳にオムライスとみそ汁が並んでいた。母の作るオムライスを食べるのはこれで最後になるだろう。敏雄はゆっくり時間をかけて母の味を噛みしめていた。〉
〈その後、地蔵通りの商店街を過ぎ、巣鴨橋を渡ると急に人通りが少なくなった。「母さん」母の手を握った。母もうれしそうに握り返した。二人は同じことを思い出していた。秋田の湯沢で、敏雄がナタを持っていじめっ子の家に乗り込んで行った帰り道のことを。今夜は街灯の光をうけて、影は通りの塀に映っていた。母の影は敏雄の影より小さかった。〉

 敏雄、つまり愛川の母親への想いは計り知れないほど強く特別であったことを本書は語っている。愛川の死を伝える番組のなかで、アグネス・チャンは「愛川さんはとてもフェミニストだった」と語った。アグネスが子連れ出勤論争でバッシングを受けるなか、全力で擁護したこと、楽屋で母親を待つ子供を人一倍、愛川は可愛がっていたとも語った。あるいはそこに、自らの幼少期、母と暮らした日々を重ね合わせていたのだろうか。

 一方、後のインタビューでは父親について「おやじは、よその人でした。そんなこと僕は小さい頃一切知らなかった」とも明かしている。愛川の母は1979年に亡くなっている。今頃、36年ぶりに甘えているだろうか。再会の時はこう言ったかもしれない。

「おまっとさんでした」
(相模弘希)

最終更新:2017.12.23 07:06

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