また貧困状態にある日本の子どもたちが、たとえなんとか小学校に上がったとしても、その後高水準の教育を受けたり、将来そこから抜け出せるのかといわれると、それは非常に困難でもある。なぜなら日本は「最も大学に行きにくい国」だからだと著者は指摘している。かつては安さが魅力だった国立大の学費が30年前の14倍にも上がった。貧困家庭の子どもは家族のために国公立大学に行くことが多いが、この授業料の高騰は痛い。各国の国公立大学の授業料と奨学金を受けている生徒の割合から、以下のような特徴を見いだすことができるという。
「大きく二つのグループに分けられます。ひとつは、そもそも授業料の安いグループです。ヨーロッパの国々がほとんどこれに当たります。授業料は高くても年間1500ドル(1ドル=100円として15万円)。授業料がタダという国も存在します。
アメリカやオーストラリアは、授業料は高いものの、返還不要の給付型の奨学金などの制度も充実しているためか、財政支援を受けている学生の割合も高いのです。
日本は、どちらのグループにも入らない異質な存在です。授業料も高く、奨学金制度も利子つきの貸与型のものがほとんどで、奨学金を受けている割合も少ないという状態にあります。奨学金について言えば、日本のような利子つきの奨学金制度の場合、その将来の返還への不安から、低学歴の親や低所得の親は、借りることを避ける傾向にあると指摘されています」
授業料が高い上にそれを支援する制度も限られているのである。実際、貧困家庭に育つ学力の高い子どもの多くが、進学を諦めているというデータも本書にある。教育を受ける機会を失えばその後の就職、人生にも大きく影響し、貧困から脱するのもまた困難になってゆく。貧困の連鎖である。
著者は、日本が現在こうした状況に陥った大きな原因として「家族依存」を挙げている。
「公的な援助が少なく、家族が子育て費用の大半を負担してきた社会的構造が培ってしまったのではないかと思っています。つまりは乳幼児期から子どもが自立するまで、少なくとも経済的側面では政府や行政の支援には頼れない。ならば、親を中心とした家族でやるしかない。子どもの貧困の研究者たちがいう『家族依存』的な社会経済構造です。」
「極端に言えば、どんな『家』に生まれ落ちるかによって、子ども・若者の将来や人生が左右されるような社会を是認することにならないでしょうか」
このままでは貧困の連鎖は止まらない。現在の日本は、貧困家庭の子どもが自力で未来を切り開くことすら困難なのだ。高齢化社会対策ももちろん必要だが、日本は貧困家庭の子どもという存在をあまりに軽視してはいないだろうか。将来的には国を支えることになる子どもたちの貧困を、見て見ぬふりしているようでは日本に未来はないだろう。
(寺西京子)
最終更新:2017.12.19 09:57