カタチだけのもの、とは「被害者遺族の生の声を録音したテープを聴かせたり被害者遺族の手記を読んで感想を書かせたりすること」だという。いかにもな方法だ。しかし、被害者に寄り添わせるようなやり方で「本当に反省している受刑者はほとんどいないのです」と言い切る。それでは、受刑者が本当に反省するために必要なことは何なのだろうか? 著者は、自分の内面にある感情を見つめるべきだと説く。
「自分の本当の気持ちを話すことです。そして『本当の気持ち』とは、実は『負の感情』なのです。私は、すべての受刑者は心の奥底に何らかの『負の感情』を秘めていると考えています。この感情が解放されない限り、被害者のことを考えるには至りません」
著者が面接をした、ある50代の受刑者は、犯行のときに使われた出刃包丁のことを訴えてきた。「出刃包丁は向こう(被害者)が用意したんです」「あいつが持ってきたんだ。悪いのは向こうの方だ」と一貫して主張してきた。
「実際のところは分かりません。ウソを本当のことと思い込むなかで、いつのまにか『事実』に変えてしまう受刑者がいるのです。彼の心の中では、『出刃包丁は被害者が用意したもの』との『確信』に代わり、その結果いつまでも被害者を恨み続けるのです」
このようなこだわりが残るなかで、被害者の気持ちに寄り添うことは不可能であろう。また著者によれば、「私は被害者に対して本当に悪いことをした」「私に生きている価値などない」と繰り返し、自分を責め続けているような受刑者ほど本当の更生が難しいという。一見、反省しているようにみえるが、これでは「自分を責め続けることが常習化しているので『違った視点』が彼らの心に入らない」からだ。かたくなに自分を責め続け、自分の中にある『負の感情』となかなか向き合えない「頑固な人」ほど、更生が難しい。
「頑固な人は、他者の意見に耳を傾けようとしません。そして、他者の意見に耳を傾けようとしない人は、他者に頼ったり甘えたりすることもしません。そうなると、社会に復帰しても、人とつながることができません」
これでは社会復帰後、人間関係がうまくいかず仕事も長続きしない。経済的に破綻し、自暴自棄になるのは時間の問題なのだ。
09年に施行された裁判員制度に先立ち、被害者が公判に参加できる「被害者参加制度」が08年から導入された。公判では被害者参加人が証人尋問、被告人質問、そして論告を行えるようになっている。被害者の存在が大きくなった昨今の裁判制度では、自身の内面に踏み込むことなど容易ではないだろう。社会が被害者に寄り添うあまり、加害者である凶悪犯罪者の“本当の”反省が置き去りにされているのである。
(寺西京子)
最終更新:2017.12.13 09:21