たしかに、ロマン氏がいうように、YouTubeやニコニコ動画で人気を集める動画のなかには、“どうしてこれがこんなに再生されてるの?”と目を疑いたくなるようなものも多い。だが、テレビに出る芸人でも、有名雑誌に連載する小説家、マンガ家、メジャーのレコード会社からCDを発売するミュージシャンでも、「どうしてこれが?」と思うものは数多くあるのも事実だ。
第三者の人間によってアイデアが加えられ、批評によって磨かれているはずなのに、どうして「つまらないもの」が生まれるのか。それは、放送作家や文芸編集者、マンガ編集者、音楽プロデューサーなど、古い“既得権益”の枠組みのなかで働く人々のレベルが下がっていることも理由のひとつだろう。
もちこまれた表現に対してアドバイスをしなくてはいけないのに「好きか嫌いか」でしか判断できない、あるいは「危険な表現だから緩くしてほしい」と保守的に構える、これまでにない表現には「いまの流行りではない」と断定する……。こうした批評眼のない第三者が増えたのは、ネットの発展による“タコツボ化”が進んだ結果ともいえる。当然、“タコツボ”のなかで育った人間は文化の体系化もできないから、ロマン氏のいう〈歴史やフォーマットを踏まえ〉ることなどできない。このような第三者に失望して、ネット上に自分で表現を発表することで新風を吹き込んでいる優秀なクリエイターもたくさん出てきているのが現実ではないのだろうか。
無論、ロマン氏が断っているように、〈センスの良い有能な(あくまでセンスの良い有能な人だけです)プロデューサーや編集者、批評家というのがどれだけ文化というものに貢献してきたかというのが逆説的によくわかります〉というのは、昨今のネット上の表現を見ていると、深く頷ける話でもある。
ロマン氏は〈願わくば、色んな笑いの表現を知り、色んな笑いを楽しめるようになる子供たちが多くならんことを〉と原稿を締めているが、ネットという場を恐れるだけでなく、オールドメディアで働く編集者やプロデューサーには気概を示してほしいものだ。
(本田コッペ)
最終更新:2015.01.19 04:11