「だって、パパが泣いたら、みんな悲しくなっちゃうだろ? パパはどんなときも、微笑んでいなきゃ」
辻いわく、息子は「私にとっては新しいパートナーであり、希望」。息子もまた「これからはパパと2人で生きていくのだ、ということも心得ております」という。それでも寂しいときだってある。だから、辻は愛情たっぷりの料理をこしらえる。その夜のメニューは、「温かいじゃがいものグラタン」。
「2人でオーブンにグラタン皿を入れ、出来上がるのを待ちます。待っている間がとっても楽しいのです。パルメジャーノチーズの香ばしい匂いがキッチンを優しく包み込みます」
シングルである親には、さまざまな苦労がともなう。家事と仕事を両立させるだけでなく、好奇の目にさらされることもあるし、何より子どもの気持ちに敏感でなくてはならない。それをたったひとりで背負うのだ。だが、辻はとにかく懸命だ。たとえば、息子が友だちを自宅に招いても、「父親がおやつの載ったお盆を抱えて出て行けば、子供たちはどう対応していいのか分からず緊張するわけです」。そんなときは子どもたちが喜ぶようにと、辻は手巻き寿司を披露。……さすがは元モテ男、気が利くではないか。
こうした辻のがんばりは、息子にも届いているのだろう。というのも、2人でドイツ旅行に出かけた際、息子は「ヨーロッパのために働きたい。建築家にもなりたい。ホテルの受付でも働いてみたい。市電の運転手さんにもなりたい」とたくさんの夢を語るのだが、最後に「でも、いちばんなりたいのは世界一優しいお父さんになることかな」と話すのだ。
ときには、辻と一緒に登校したいがために学校の「通行テスト」(フランスにはこんなものがあるらしい)をわざと落第してくる息子。そんな息子へのいとおしい気持ちは、文章にもよく表れている。
「私は息子が大きくなるのが嬉しくてしょうがありません。彼が成長していく手助けをしているわけです。手塩にかけて育てているという実感があります。これは幸せなことです」
「息子の笑顔が明日の父親の糧になる」──。だからこそ辻は、「おふくろの味」ならぬ「おやじの味」を日々つくる。シングルファザーの名作映画『クレイマー、クレイマー』でも、父と息子をつないだのはフレンチトーストだったが、辻もまた、料理を通して息子に愛情を伝えようとしているのだろう。
このエッセイ連載、はっきり言って辻がこれまで書いてきたどの小説よりも、ぐっとくる。そう。息子こそが、作家・辻仁成の隠れた魅力を引き出したのだ。
(水井多賀子)
最終更新:2015.01.19 04:29