──話を沖縄のアイデンティティに戻します。仮にこれが、あくまで問題を共有するための道具立てであるとしても、他方、石垣などでは、中央的な中国脅威論に引きずられるかたちで右傾化が進んでいるという話も聞きます。こういったものが基地維持派の支持母体になるのでは、と推測しているのですが。そうした沖縄の人々のなかには、親米保守の本土的感覚で、米軍駐在もやむなし、とする気持ちもあるのではないか。
宮台 自力で物事を考えられない輩は内地にも沖縄にもいます。メディア情報の適切な解釈は、マスコミでもネットでも「こういうことは旦那に聞かなきゃわかんねえ」という対人ネットワーク抜きにありえないとするのが学問的伝統です。それゆえに、対人ネットワークを支える中間層や共同体が空洞化すれば、必ず〈教養の劣化〉が始まる。こうした個人化的な分断による〈教養の劣化〉にメディアリテラシー教育で抗うことはできません。トマ・ピケティの『21世紀の資本論』が言う通り、第2次大戦後の20年間ほどは、重化学工業化と郊外化を背景に分厚い中間層が育ち、それが民主制を健全に回せる公民の存在を信頼可能にした。でも、それは歴史的な例外です。社会学の伝統には大衆社会論があり、人々が個人化的に分断されれば必ず〈教養の劣化〉に加えて〈感情の劣化〉を招くと考えてきた。大衆社会論は、〈社会〉の劣化が「埋め合わせ」としての全体主義を呼び寄せると見ます。それは時代や文化で変わらない普遍テーゼです。資本移動自由化(グローバル化)を伴う資本主義が〈社会〉を劣化させるとするのも、同じく普遍テーゼです。これら2つの普遍テーゼを組み合わせれば、昨今の先進各国における民主主義の危機を簡単に説明できます。
──〈教養の劣化〉はまだ何となく分かりますし、実感もあります。そこに加え〈感情の劣化〉が現代には見られると宮台さんは言いますが、なぜ知識の不足やリテラシーのなさではなく、とりわけ感情の問題になるのですか?
宮台 昨今は、コミュニタリアニズム・進化生物学・徳倫理学・道徳心理学・プラグマティズムを貫通して、感情プログラムが注目されています。とりわけ損得勘定の〈自発性〉を越える、湧き上がる貢献心としての〈内発性〉への注目。僕が書籍版『白熱教室』(『これからの「正義」の話をしよう』早川書房)のオビを書いたマイケル・サンデルが引用する、マーク・ハウザーのトロッコ問題は、僕たちが〈感情の越えられない壁〉によって制約されることなしに、共同体を営めないことを証明するものです。この〈感情の越えられない壁〉には進化生物学的な継承もありますが、大半は共同体での育ち上がりによってインストールされるプログラムです。感情プログラムの適切性を横に置いて制度論を展開しても無意味だ、とサンデルは言います。2ちゃんねるYouTubeなどでネトウヨやヘイトのキモい佇まいを見てください。ああした愚昧な恥さらしが社会成員の大半になったとき、妥当な制度があれば社会が回せるなんて思えますか。日本に限らず諸分野で感情が注目される理由です。
──たしかに今、ネット上は酷いことになっていますね。中傷、差別、嫌悪。正義も、品格もない言葉が乱れ飛んでいます。なぜこんなことになってしまったのでしょうか。
宮台 中間層が分解した現在、〈見ず知らずからなる我々〉の意識は逆に危険で、実際その種の輩たちは、見も知らない人々を一括して敵だ味方だとホザいて回っている。この点、沖縄は〈見ず知らずからなる我々〉をネタ以上には信じないのでアドバンテージがあります。残念ながら、〈感情の劣化〉を示す連中に理屈を説いてもムダです。これを佐藤優氏は「反知性主義の時代」と呼んでいる。理屈を説いてもムダな連中が増殖する中、どうすればいいのか。それを今から説明します。
後編へ続く。
(語り手=宮台真司〈敬称略〉/聞き手=HK・吉岡命)
■宮台真司プロフィール
1959年生まれ。社会学者。映画評論家。首都大学東京教授。権力論、国家論、宗教論などに通じ、なかでも女子高生のブルセラや援助交際の実態などをフィールドワークにより明らかにするなど、性愛論や文化論に関する著作で若者たちから熱狂的な支持を集める。近著に、作家・仲村清司と沖縄問題について対談した『これが沖縄の生きる道』(亜紀書房)がある。
最終更新:2014.11.04 12:17