小説、マンガ、ビジネス、週刊誌…本と雑誌のニュース/リテラ

マツコ・デラックスが元SMAP排除に加担!『5時に夢中!』に「稲垣吾郎出すなら降りる」、背景にジュリー派との蜜月

 以上説明してきたように、マツコはまさにテレビ業界におけるジュリー派の象徴的な存在であり、SMAP潰しの構図にも大きな役割を担ってきた。しかし、それは結果的にそのような状況に置かれていただけで、マツコ自身がそのことに自覚的だとは思っていなかった。

 だが、今回の文春報道で、マツコが「稲垣を出すなら降板する」などと直接的な圧力をかけていことが明らかになったのだ。

 しかも、冒頭でも触れたが、マツコは公取委の指摘した“圧力”に対し、「週刊文春」のなかでこのように語っている。

「公取が(出演)時間だけ調べれば、あの三人が使われてないですねってなるわけ。データ上で見たら違反かもしれないけどさぁ、結局は番組の判断なわけ」
「あの騒動直後の稲垣が出ることによって、あの番組(引用者注:『5時に夢中!』のこと)が築き上げたカラーがどうなるか考えてよ。(中略)もちろん忖度もあっただろうけど、どの業界だってあるわよ。あんたの所(文春)だって忖度してんだからさ。ただそれだけじゃ急に仕事はなくなりません。だって、あの三人はSMAPにいたからこそチヤホヤされていたんだから」

「圧力があるからテレビに出られないのではなく、タレントとして人気がないからテレビに出られないだけだ」と言うのは、テレビ局や芸能プロダクションの人間が現状を追認するために頻繁に使用する詭弁だが、それが事実でないことは、新しい地図の3人が多くのテレビCMに出演していることからも明らかだ。こんな典型的な詭弁を、まさか、マツコが使うとは……。

 独自のスタンスと鋭い感性で知られていたタレントがテレビ界でポジションを築くと同時に、かつての毒を失っていくというのはよく指摘される話だ。

 それはマツコにおいても例外ではない。近年のマツコに対しては、かつてのような面白さを失ってしまったとの指摘が多い。しかし、それでも、弱者・マイノリティに寄り添う目線や、強者に対峙する最低限の矜持のようなものは失っていないと思っていた。

 本サイトでも取り上げたが(https://lite-ra.com/2017/10/post-3504.html)、小池百合子東京都知事を「ちょっとなんか、器が小さかったかな」と断じたり、安倍首相を「無神経、馬鹿じゃないと総理大臣ってできないと思うのよ。安倍ちゃんなんて馬鹿の象徴じゃない?」と喝破したのは、マツコのなかにそういった矜持があったからだろう。

 しかし、そのマツコがまさか自ら圧力をかけるほどまで堕ちていたとは……。本当にマツコがこんなことを話したのかと信じがたいほどだ。

 マツコ自身にも圧力をかけたという自覚があって、それをごまかすために、過剰に言ってしまったのか。あるいは、これが圧力という自覚も持てないほど、どっぷりテレビ局と芸能界の癒着論理を内面化してしまっているのか。

 その真意はわからないが、今回の文春の記事で明らかになったのは、マツコ個人の問題ではない。独立するタレントに圧力をかける主体が、もといた所属事務所やテレビ局だけでなく、共演するタレントや他の事務所にまで広がっているという事実が浮き彫りになった。テレビと芸能界における闇は想像以上に根深いというほかはない。

最終更新:2019.08.01 12:34

関連記事

編集部おすすめ

話題の記事

人気記事ランキング

話題のキーワード

リテラをフォローする

フォローすると、タイムラインで
リテラの最新記事が確認できます。