ちなみに、29日の『バイキング』では、前日夜死去が報じられたショーケンこと萩原健一についての特集が、ほかのワイドショーより圧倒的に小さかった。坂上はショーケンとは、ドラマ『傷だらけの天使』で子役時代に共演、映画『極道の妻たち 三代目姐』ではショーケンを刺し殺す役を演じるなどしており、近年もバラエティでも度々共演したり、萩原とのエピソードを披露するなどしていた。他のワイドショー以上に、坂上自身が生き証人として語れること・語るべきことの多い話題だったと思うが、番組後半に20分足らずという明らかに小さな扱いだった。
マリファナの不法所持を含む4度の逮捕歴があり、著書でも薬物経験を披露しているショーケンのことも、坂上は今となっては「もう大人なのに無責任」などと思っているのか。あるいは、ピエール瀧報道での自身の論調との矛盾にバツが悪かったのか。いずれにしても、坂上が自らの変節とオヤジ化により、自縄自縛になっているのは間違いないだろう。
この自縄自縛は坂上だけに限った問題ではない。
多くのワイドショーが、「ピエール瀧を糾弾しながらショーケンは持ち上げるのか」とそのダブルスタンダードを批判されている。恐ろしいのは、現在の道徳ファシズム社会・日本では、そうした批判によって「ピエール瀧を糾弾するのは間違っていた」と省みるのでなく、逆に「ショーケンを評価してはいけない」というほうに流れてしまいかねないところだ。
音楽も映画も文学も不道徳だと糾弾され、強者のご機嫌を取り弱者をいたぶるお笑いだけがエンタテインメントとして許される。『バイキング』を見ていると、そんなおぞましい近未来すら想起せずにはいられない。その狂った世界ではもちろん「DOMMUNE知らない」のほうが常識となる。
繰り返しになるが、逸脱を許さない社会からは、新しいものは生まれない。それは芸術やカルチャーだけの話ではなく、科学技術や経済、政治などすべてにおいてだ。逸脱を許さない社会は、いま逸脱者とされている者だけでなく、すべての人にとって生きづらく、権力を握る支配者層以外にはなんのメリットもないことを認識するべきだ。
(編集部)
最終更新:2019.03.30 08:04