抑圧に抵抗するDOMMUNEをバカにし「売名」と攻撃した『バイキング』
ところが、『バイキング』は、このDOMMUNEの行動を悪意をもって攻撃しまくったのだった。まず、電気グルーヴの音楽が世の中に流通できない状態になっていることに疑問を呈したDOMMUNEの企画趣旨が紹介されると、坂上がいきなり「ずいぶん熱いですね……」と皮肉。続いて森公美子がこんなことを言い出した。
「DOMMUNEってわたし、聴いてなかったですけれども、ツイートのトレンドで日本1位になろうって。「がんばろうぜ」って、誰かがツイートしたんですかね。何回も同じ人がやるとけっこう上がっていく。DOMMUNEって知ってる人ってこのなかにいます?」
そして、この発言をきっかけに、スタジオはDOMMUNEの企画が売名行為、PRではないかという話題一色になってしまう。
まず、坂上が「これやると、ここ(DOMMUNE)のこと知るよね」「おれ、森さんの話きいて、ああっ、確かにと思って。(DOMMUNE)知らなかったもの」と発言し大笑い。
これに、おそらくスタジオでただひとりDOMMUNEや企画の意義をわかっていたと思しきフットボールアワーの岩尾望が「DOMMUNEのPRだという見方をしてる人がいたんですか?(笑)」とあり得ないという感じで突っ込んだのだが、全体の空気を読んだフット後藤輝基が「そういう意味では、コマーシャルにもなりますけど」と坂上らの流れに話を押し戻し、薬丸も「うーん。どうしてもそういうふう(サイトPR)な目で見てしまいますね」と同調。
現在、ネットでは、坂上やコメンテーターたちがライブストリーミングの草分け的存在であるDOMMUNEのことを知らなかったことに、大量のツッコミが入っているが、問題はそこではない。
『バイキング』が最悪だったのは、DOMMUNEのような動きが抑圧へのカウンターとして出てきていることにまったく理解を示さず、「売名」と決めつけて攻撃をした点だ。
自分たちこそ、金を稼いだり既得権益を守るために、長いものに巻かれているくせに、既成の価値観に違和感を表明したり、本質的な議論をしようとしたものを、目立つための行為だと嘲笑い、見下す。これは、ワイドショー的言論の典型であり、そういった同調圧力が、マイノリティを抑圧する社会をつくりだしてきたのだ。
だいたい、坂上は偉そうにピエール瀧や石野卓球を責める資格があるのか。坂上自体、彼が説教しているようなルール違反や、まわりの信頼を裏切るような無責任な行動をさんざん繰り返してきた人間ではなかったか。