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THE MANZAIウーマン村本が凄かったのはタブーの政治ネタだけじゃない、漫才全体で「平等とは何か」を訴え!

今回のネタは冒頭から「平等とは何か?」という問いかけから始まっていた。

 上述のように村本から「世界がどうなろうとも、なんとも思わない最低の芸人」と責められた中川は「自分だって世界のことをちゃんと考えてる」と主張。ふたりはこんな問答を始める。

村本「じゃあ、お前は世界中がどうなったらいいと思う?」
中川「世界中が平和になったらええと思ってるわ」
村本「平和とはなんや?」
中川「平等や」
村本「平等かあ。じゃあウーマンラッシュアワー、平等か?」
中川「ウーマンラッシュアワーは平等や」
村本「ギャラ、平等か?」
中川「ギャラ? そら、半分半分やないか、平等やろ」
村本「じゃあ、しゃべってる割合は?」
中川「割合? いや、まあまあ、そっちのほうが多いけど」
村本 「俺のほうが多いなあ。じゃあ、わかった。ネタ作ってるのは、どっちや?」
中川「いや、そっちが作ってるよ!」
村本「ということは、この平等、この平和というのは、俺の犠牲のもとに成り立ってる平和ということやな」
中川「犠牲?」
村本「じゃあ、わかりました、みなさん、すべてが平等なんだったら、ギャラが平等だったら、幸せも半々じゃないとおかしいですね」

 そして、昨年のクリスマスを中川が妻子と幸せに過ごす一方、村本は独身で彼女もおらず深夜まで中学生とTwitterで喧嘩していたと不満をぶちまける……。一方がたくさんしゃべってネタも作っているのに、ギャラが折半。“生産性の高い”村本と“生産性の低い”中川が同じ報酬なのは、平等とは言えないのではないか。コンビの不仲や解散の原因にもありがちな“コンビ間格差あるある”ネタだ。

 ここで普通に考えられるツッコミは、「能力」や「結果」に応じた報酬を受け取るべき、というものだろう。「能力」がなく「結果」を出せない者が報酬を得るのは不当なこと、「弱者優遇」「マイノリティ特権」だと攻撃する。こうした思想は、弱肉強食体質の芸能界はもちろん、現在の日本社会である種の「正義」と受け止められている。しかし、村本の漫才はまったく違った展開をみせる。弱肉強食とは真逆の、“持ちつ持たれつ”を強調するのだ。

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