そして宇多田は、自分の内側の世界で、自由に、想像と思考を無限にはたらかせ、音楽をつくった。
「9才の時、怒りとか不満とかいった感情が完全になくなっていることに気付いた。外界になにも求めなくなっていた。」
「自分の内側の世界のほうが大事だった。そこには自由があった。想像と思考は無限で、最強だと思った。」(『点―ten―』より)
宇多田の「自分の内側の世界」は強固なもので、前夫・紀里谷和明との離婚理由について当時「彼の理想は(公私ともに)一体化することで、でも私はそうじゃなかった」と語っており、一度目の結婚でもその殻が破られることはなかった。
「密室系で、ひとりでないと作れないタイプだったんです。「決して見てはなりませぬ」という鶴が機を織ってるみたいな感じで(笑)」(ぴあ)
しかし、今回の『Fantôme』を聴くと、その密室は完全に開かれていた。彼女は前出「SWITCH」のインタビューでこのように語っている。
「私は自分の考えを正直に音楽にしてきた方だと思うんですが、母は一番のメッセージポイントなんだけど、結局、赤裸々には出せず、どこかで隠しながら必死に暗号を出し続けるようなやり方でした。でも彼女が亡くなって、これまで自分に課していた、最も大きなセンサーシップが取り払われた。もう音楽なんて作れないと思ったのに、意を決して書き始めたら、羽ばたくぐらい自由に言葉を選ぶことができた。言葉との関係性であり、世間と自分の関係性が大きく変わりました」
ただし、宇多田はその自由を手に入れるために、まずは母親のことを書かなければならなかった。
「まず、それを書かないと、それ以外が書けなかった。最初に書いた3、4曲は母のことで、そのあとは男女の恋愛がテーマの『俺の彼女』みたいな歌詞がどんどん出てくるようになって」(「ぴあ」)
ようするに、宇多田は母の死の悲しみを乗り越えたというより、むしろ母親が亡くなったことで、はじめて母親と真正面から向き合うことができた。そのことによって呪縛を乗り越え、独立したひとりの人間になれた。そういうことなのではないか。
9月22日に放送された『SONGSスペシャル 宇多田ヒカル〜人間・宇多田ヒカル 今「母」を歌う〜』(NHK)での糸井重里との対談のなかで、復帰してから歌詞が変わったとの糸井の指摘に、宇多田はこう返していた。