宇多田が自死遺族の会合に通っていたことに驚かれた読者も多いかもしれないが、「女性自身」(光文社)2016年10月11日号によれば、宇多田は自死遺族の会合に参加するのみならず、自死遺族の支援団体や、自死で親を亡くした子どもたちのためのサポート団体に匿名で多額の寄付も行っているという。
それはともかく、宇多田にとって、この『Fantôme』は母に捧げた手紙だったのだ。
ただ、宇多田にとって「母に捧げる」「レクイエムを歌う」という意味は、 単に肉親の死を悼む、というだけのことではない。母・藤圭子の存在は、宿痾のようにその死の瞬間まで常に宇多田をふり回してきたものであり、同時にその母との関係こそが宇多田ヒカルを形作ってきたものでもある。
たとえば、宇多田は09年に出版した著作『点―ten―』(EMI Music Japan Inc./U3music Inc.)のなかで、0〜8才までにできあがった自らの基本として、幼少期の原風景をこんなふうに綴っている。
〈ママ大好き、ママこわい、お父さん大好き、お父さん嘘つき〉
〈ママの公演をステージのそでからずっと見てる、すごい音、光、闇、集中力、熱、ママ泣いてるみたい、お客さんの方を向いている、私の方は見てない――。〉
〈だんだん、悔しい時も悲しい時も、泣かない子になった。母の前で泣くと、ひどく怒られたから。悲しくて泣いてるのは私なのに、なぜか彼女の方が傷ついて、泣いて、私を責めた。すると私は泣く気が失せた。泣くよりももっと深い悲しみを知った。彼女に悪気は無いんだ、って分かってしまう自分が、体の芯からひんやりしていくようで、こわかった。
それは子供にはとても辛い、母親からの拒絶、というものだった。でも彼女にはそんなつもりはない。彼女は本当に純粋で美しい人だ。私をとても愛してる。私が勝手に拒絶された気になってるだけかもしれない。〉
また、藤圭子の死から1ヵ月弱たった頃には、こんなツイートもしている。
〈光は天使だ、と言われたり、悪魔の子だ、私の子じゃない、と言われたり、色々大変なこともあったけど、どんな時も私を愛してくれて、良い母親であろうといつも頑張ってくれてたんだなと今になって分かる。今後、精神障害に苦しむ人やその家族のサポートになることを何かしたい。〉(2013年9月19日ツイート)
藤のアーティスト気質や繊細さ、何かしらの精神的な病などの理由があったにせよ、宇多田の回想する藤圭子の自分に対する言動は、無力な子どもから見れば、ある種の“毒親”的なものだった。宇多田は、泣かない、感情を表に出さない子ども、典型的なアダルトチルドレン(AC)になっていった。