優等生キャラだったベッキーの不倫は確かにインパクトはあった。だが所詮“不倫”というごくプライベートな問題であり、犯罪行為を行ったわけではない。しかしワイドショーを筆頭にしたマスコミはベッキーを糾弾し、全てのCMを降板、芸能界休養にまで追い込んだ。それはベッキーが『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS)で懺悔しても、6月10日に復帰会見で再び謝罪しても変わらず、ベッキーは今も本格復帰できないでいる。
ところが、痴漢騒動という刑事事件に発展する可能性すらあった中島は、会見を開いたり芸能界を休養するどころか、痴漢騒ぎなどなかったかのように一切を無視したまま、ドラマ主演の抜擢という晴れ舞台に立っているのだ。
ジャニーズ事務所が容認さえすれば、犯罪まがいの行為をはたらいても何事もなかったかのようにドラマ主演の座に居座り続けられる。一方で、弱小事務所のタレントは不倫やご近所トラブル、酒癖、態度の悪さといった些細なことでも猛バッシングを浴びる。毎度の事ながら、この理不尽さを見ていると、本当に絶望的な気持ちになる。
実際、これはたかが芸能報道で済む話ではない。実は、このマスコミの「強きを助け弱きを挫く」体質が舛添問題でも指摘された「事の大小が狂っている日本社会」という問題を生み出しているのだから。
(林グンマ)
最終更新:2016.06.25 08:51