この映画のオーディションに参加した綾野は、本作のプロデューサーだった山本氏の目にとまり、わざわざ原作にはない役を用意され出演することに。さらに、同じく山本氏に見出され、トライストーン・エンタテイメントに所属していた小栗旬から「綾野くんさぁ、俺と心中してくんね?」「剛みたいなヤツが欲しいんだ。ほんとうに本物の役者しかいない事務所にしたい」と直々に口説かれ、事務所移籍を決めたのだという(TBS『A−Studio』で発言)。
綾野のその後の活躍はご存じの通りで、山本氏の眼に間違いはなかったというわけだが、ちなみに、小栗に白羽の矢を立て、事務所に引き入れたときのことを山本氏はこのように語っている。当時、小栗はまだ15歳だった。
「学校帰りみたいな黒いパンツに白い半そでのシャツでちょこんと椅子に腰かけて、顔を真っ赤にしながら自分の靴のかかとばっかり見ている少年で、その姿を見て、ピンと来ました。
何かを秘めた内面性をすごく感じさせる少年。「はい、はい」って言うのではなくて、「はっ、はい」って言う感じだった。この野郎、面白いなあと思ってね(笑)」
そんな初々しい少年だった小栗は、その後、社長も通さず直に役者を口説き落として移籍を迫る掟破りの役者になるわけだが、これは社長・山本氏あってこそのものなのだろう。
というのも、山本氏は“逸話”に事欠かない人物。弱冠30歳にして、『シェルブールの雨傘』や『ロシュフォールの恋人たち』で知られるフランスの巨匠ジャック・ドゥミ監督に『ベルサイユのばら』の実写版を撮らせるというとんでもない荒技をやってのけ、一方で、沢田研二が原発から盗んだプルトニウムで原爆をつくって政府を脅迫するという伝説のアクション映画『太陽を盗んだ男』(監督/長谷川和彦)と、いしいひさいちの4コママンガ『がんばれ!!タブチくん!!』をアニメ映画化。同じ年に奇想天外な3本の映画を世に放つという、鮮烈な映画プロデューサーデビューを果たした。まさかの高倉健主演『ゴルゴ13』のプロデューサーも、この山本氏だ。
そんな映画界の山師というべき山本氏をもってしても公開にいたらなかったのが、日本未公開の幻の映画『ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ』だ。フランシス・コッポラとジョージ・ルーカスが製作総指揮をとった同作は日本でも公開される予定だったが、三島由紀夫の同性愛描写に遺族が反対したこと、そして右翼団体からの抗議が予想されたため、日本ではお蔵入りとなった。
このとき、第1回東京国際映画祭で『ミシマ』を上映しようと奮闘した山本氏は、「『ミシマ』なんかやったら右翼が反対して騒ぎ、第1回目から大混乱になる」と反対した日本映画製作者連盟会長で後の東映会長・岡田茂氏に、こう反論したのだという。