TETSUYA KOMURO official websiteより
佐野研二郎氏のエンブレム白紙撤回後、先日は、「閉鎖的だった選考過程を見直すため、今回はデザインコンクールの受賞歴も問わず、子どもにも門戸を開く」といった趣旨を含んだ応募要項が大会組織委員会から発表されるなど、一応は歩を進め始めた、2020年東京オリンピック・パラリンピックエンブレム問題。
「パクリ」とはなんなのか? 国民的な議論を巻き起こした今回の問題だが、今回の騒動が起きた直後より、「アーティスト」としての立場から議論の争点について盛んに発言してきたミュージシャンがいる。ご存知、小室哲哉だ。
彼は騒動が起きた直後、8月18日の時点で以下のようなつぶやきをツイッターに投稿。1200近くリツイートされている。
〈オリンピックのエンブレム。音楽とは全く異なるけれど、僕も、僕にも音楽家たちは何の、どこにインスパイアされたと明確に言及する事は多い。芸術は感化の積み重ね。突然、無からやって来る事はあり得ない。ルーツを話してあげれば、もう少し皆んな納得がいくんじゃないかな〜〉
デザインと音楽、ジャンルは違えど、自身も「創作」に関わるプレイヤーの立場から発された意見は大きな反響を呼んだ。しかし、ツイッターの限られた文字数では彼の言いたかったことは言い切れていないという。「ローリングストーン日本版」11月号(セブン&アイ出版)に掲載された彼のインタビューを読みながら、「芸術」と「模倣」の関係性について改めて考え直してみたい。
まず、小室は先ほど紹介したツイートにて〈芸術は感化の積み重ね〉という言葉で表現した考えについて、こう補足する。
〈音楽とデザインはアートとしては種類が違うということを大前提に、音楽家も必ず絶対に何かにインスパイアされたり影響を受けていたりしている。幼少の頃から見聞きしてきたいろいろなものが頭の中で整理されて、何かの形になって生まれていくんです。突然変異のように急に出てくることは100%有り得ないですよね。影響を受けたものから自分のオリジナルを作るのは当たり前のことだろう、と〉