左・吉本興業株式会社公式HP 芸人プロフィールより/右『作家という病』(校條剛/講談社現代新書)
芥川賞作家となった又吉直樹の勢いが止まらない。受賞作『火花』(文藝春秋)は209万部という大ベストセラーになり、受賞作を全文掲載する月刊「文藝春秋」(文藝春秋)9月号は105万3000部という異例の大部数を発行する事態となっている。
一方では、さっそく“作家センセイ”らしい態度も見せている。受賞後の取材で、初対面の女性記者に「どこに住んでんの?」「引っ越した?」とタメ口で聞かれたことに本気で不満をもらし、ネットではその女性記者が芸能レポーターの松本佳子ではないかと炎上。松本もまたそれに反論するなどの騒動が起こっている。
しかし、これまた又吉の“作家たる”資質かもしれない。というのもこれまでの歴史において作家という“人種”は、多くのトラブルと物議を巻き起こしてきた人物が少なくないからだ。いや、誤解を恐れずいえば、自意識過剰で嫉妬深く、変人で奇行を繰り返し、下劣でろくでもない人間性の持ち主こそが、作家という人種なのだ。
『作家という病』(校條剛/講談社現代新書)を見ると、大作家と言われる人々の奇人変人ぶりの数々が編集者の目を通して描かれている。著者の校條は新潮社の文芸編集者として数多くの作家と直接的に接してきたベテラン名物編集者だ。そこには読者に向ける表向きの顔とは全く違った作家たちの“素の姿”が出現する。
なかでも“伝説”と化しているのが “京都”と呼ばれていた西村京太郎と山村美紗の“カップル作家”だった。2人が同じ敷地に内廊下で繋がった家を建てていたことは有名だが、「西村の作品をもらうには、山村へのケアを万全にすることが鉄則だった」という。
常に20万部以上の売り上げが見込まれる西村作品をもらうため、編集者たちは山村のご機嫌を取り忠誠を表現することに奔走する。ご機嫌伺いは壮絶を極めた。
「京都の二人の原稿を手にするには、幾つかの儀式を通過してからでなくては不可能だった」
出版社役員や幹部も出席する新年会、誕生会、京都「都おどり」、2人が出演する年末の南座観劇、年一度の各社個別の接待、さらに山村の長女・紅葉の芝居鑑賞――これらが編集者に義務づけられた“儀式”であり「そうした催しに必ず参加することが忠誠心の証だった」のだ。