大衆の劣情を煽るような差別発言を連発し、新宿歌舞伎町の浄化作戦や、青少年保護育成条例、新銀行東京や東京オリンピック誘致、東京マラソンと、目立つパフォーマンスばかりを繰り返したその姿はまさにポピュリズム政治家の典型だろう。いったいどの口で、といいたくなるが、読み進めていくと、石原の橋下に対する怒りの原因は、実はポピュリズムの部分ではなかったことがわかってくる。
たとえば、日本維新の会が掲げた“脱原発”政策についての対立。石原はこの手記で「問題の多い日本の原発を十年後にはフェードアウトするというものでした。これは私から見れば非常に危険な党是でしかありませんでした」と言っているが、ゴリゴリの原発推進派で、核保有さえ主張する石原がこうした主張をすること自体は別段、不思議ではない。
問題はその後だ。石原の矛先は脱原発政策の是非からその決め方に向かう。
「原発に対する根本的な認識が私から見れば欠落したまま、安倍政権が決めたUAEやトルコに対する、世界でも最も進んだ日本製原発の輸出規定に反対することになりました。しかも、その賛否を多数決で決めたのです」
「こうした国家の名誉にかかわる根本的な問題、つまり原子力そのものに対する否定に繋がりかねない国際協定への賛否は、当然、一種の文明論として討議、討論されるべきだと私は主張しましたが、『こうした問題を多数決で決めるのが維新の会の文化だ』と言って、結局、両院議員の多数決に付され、政府方針に反対することが決定されました」
政党の意思決定としては、意見が対立したら最後は多数決で決めるのは、普通のことで、むしろ「文明論として討議すべき」というのが意味不明だが、とにかく、石原はこの“多数決”は我慢ならないらしい。
実は、維新の会と分かれて結成した新党・次世代の党をめぐっても、石原は多数決にいちゃもんをつけている。実は、石原はこのとき、「新党大和」という党名を考えて推していたのだが、やはり多数決で「次世代の党」になってしまったらしいのだ。
「物書きの私としては、自分の書いた小説にいかなる題名をつけるかに腐心している経験からしても、新しい党の命名を多数決で決めることには大きな疑義がありました(略)いかにも素直に理解しにくい、事の説明を要する党名は結局、選挙によっても大きなマイナスになった気がしてなりません」
文明論や文学を持ち出しているが、結局は俺に決めさせろ、というファシスト丸出しの理屈でしかないのだが、たしかに、石原は多数決にもっともなじまない政治家だった。都知事選のような直接選挙ではポピュリズム的手法によって大量の得票を集めることができるが、政党や政治家の集団を束ねたり、議会で多数派工作をすることはむしろ苦手だった。