しかし、彼女はこのとおりにいかなかった。1回目の術後、「大きな手術のあとに一時的に錯乱状態になる」せん妄のような症状が出てしまい、幻覚をみたりと精神的に不安定に。これが術後せん妄だったのか、鎮痛剤によるものだったのかは分からないらしいが、大変なのは術後2日目になっても熱が40℃近くから下がらず、何も食べられない状態になったこと。「起きあがるのもせいいっぱいだなんて……。こりゃあ生きて帰れるのか?」と思ったといい、「このへんの数日は笑えねえ」と記している。その後、持病が出たこともあり、入院期間を延長したという。
もちろん、本人も「ネットで性転換手術記はいくつも読んできたけど、こんなに苦しかったっていう体験談なんか見たこともない」と述べているように、こうした症状は手術を受けた人すべてに起こることではないよう。しかし、初めての海外でたったひとり、この苦しみに襲われるのは、かなり不安だったことだろうと思う。それでも読んでいてほっとするのは、タイの病院が親切そうなことだ。「すごく体調は悪いくせに、この、ふつうなら絶対に経験できない貴重体験にだんだん私はワクワクしてきた。病院のホスピタリティがとてもいいおかげです」という言葉が飛び出すほどで、つくづく病院選びは大切だなと感じさせる。
このような苦労の末、誕生した女性器であるが、それをはじめて見たときの感想は、「感動というよりも、衝撃」「グロくていまいち直視できず、その日はどこが何なのかよく分かりませんでした」。一方、戸籍上の性別変更完了の通知が届いたときの感想は、このようなものだ。
「正直、この紙切れ1枚はけっこううれしかった。OLになったりチン子取れたりしたときよりもうれしかった。それがなぜかといったら、やっぱり「もう何もしなくていい」ってことにつきますね」
はるばる異国まで赴き、手術を受け、いろいろと面倒な手続きを行う。そうした「一連のおしごと」が終わったことの「あーつかれた、おつかれーッス」という気持ち。──これは経験者にしかわからない感情かもしれないが、この言葉を前にして、どうして性同一性障害の人たちがそこまで苦労しなければいけないのか、考える必要があるだろう。というのも、手術の問題をとっても、日本国内では性別適合手術を行う病院が数少なく、かかる費用も海外と比べると高額だという実情があるからだ。
戸籍の性別変更が可能になった「性同一性障害特例法」の施行から、今年で10年。だが、現状は見直さなくてはいけない問題が山積していることを忘れてはいけないだろう。そんななか、性同一性障害をかかえた人はもちろんのこと、そうでない人にとっても大いに楽しめるこの体験エッセイは、理解を深められる貴重な入り口になるはずだ。
(水井多賀子)
最終更新:2014.10.12 11:04