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“錦織はゆとり”? ナイナイ岡村「ゆとり教育でアホが増えた」は本当か?

 岡村は「ゆとりでアホが増えたぶん」スポーツ界で活躍する人が増えたと分析したようだが、尾木ママはまったく正反対の意見の持ち主。たとえば、ソチ五輪で金メダルに輝いた羽生結弦を例に出し、「(羽生は)試合本番前の記者の質問を「今日はふたつだけに限らせていただきます」と区切っていました。これは記者に冷たいとかではなくて、自分をしっかり持っているからです。自分にいまいちばん大切なのは何か、それを考えて取捨選択しているのです」と、そのクレバーさを称賛。憧れのプルシェンコ選手に勝つために英語もできないまま単身カナダに渡るという“視野のグローバルさ、スケールの大きさ”と、“なによりも自分を大事する”という羽生のあり方こそ、「個の尊重」を掲げたゆとり教育の賜物ではないかというのだ。

「今までのように監督や上から言われたことをやっていく、出してくれたメニューをこなしていくという形ではなくて、自ら理想の形を作ったり目標設定をして、それに挑んでいく──。そんなスタイルに変わってきていることには、ゆとり教育の効果が出てきているんだと思います」(光文社「FLASH」3月4日号より)

 これと同じことが錦織にも当てはまりそうだが、しかし、尾木ママの著書『生きづらいのは「ゆとり世代」だから、と思っている君たちへ』(ブックマン社)によると、じつは、「ゆとり教育」は日本において、ほんとうの意味では実現されていないのだという。

 当初、ゆとり教育がめざしたのは「問題解決能力」「発想力」「洞察力」の習得、そして「個の尊重」。だが、02年1月に遠山敦子文科大臣(当時)が「ゆとり教育はやらない」と言い出したため、「ゆとり教育は本格実施と言われる2002年度以降、一度もきちんと実施されていないんですよ」という。むしろ、日本の“おかしな教育”をつくりだしたのは、「新自由主義が台頭した小泉・竹中路線のあの10年間」と指摘している。ゆとり教育ではなく、政治こそが反省されるべきだというのだ。

 実際、いまでも政治による教育の混乱はつづいている。ゆとり教育への間違った実施・評価に基づいて、批判も多かった詰め込み型へと回帰したり、改憲を睨んでのことか、愛国心を育む「道徳の教科化」など、学校現場や子どもたちを無視した改革を推し進めている最中。岡村をはじめ、大人たちもゆとり批判を繰り出す余裕があるのであれば、未来につながる現状の問題のほうを憂えてほしいものだが……。
(水井多賀子)

最終更新:2015.01.19 05:57

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