安倍晋三本人が赤木さんの手記、妻・雅子さんの言葉、赤木ファイルを冒涜
孤軍奮闘で疑惑解明への道を切り拓いた雅子さんの努力にはあらためて頭が下がる思いだが、しかし、一方で忘れないでおきたいのが、その雅子さんらに対して、当時の安倍晋三首相や官邸が行なってきた言動だ。
安倍首相や政権、安倍応援団は自分たちの政権に対する疑惑追及の動きを封じ込めるため、俊夫さんや雅子さんに対して、明らかなデマや冒涜、恫喝、圧力につながりかねない言動を行ってきた。それがいかに卑劣で酷いものだったか、以下にあらためて伝えておきたい。
赤木俊夫さんや妻・雅子さんへのデマによる冒涜と言えば、まず最初にあげるべきなのが、2020年3月に俊夫さんの遺書と手記が公開されたときの安倍首相の言動だ。
安倍首相は、国会で俊夫さんの遺書と手記について問われた際、「胸が痛む」などと言いながら、「麻生大臣のもとで徹底的に調査し明らかにした」として再調査を拒否。改ざんのきっかけが2017年2月17日に安倍首相がおこなった「私や妻がかかわっていたら総理も国会議員も辞める」という国会答弁だったと指摘されると、「改ざんのターニングポイントとなったのは2月17日の発言だったとは手記のなかには(書かれて)ない」と言い出した。
この安倍首相の卑劣な態度に対し、雅子さんは直筆の文書を公表。そこにはこう書かれていた。
〈安倍首相は、2017年2月17日の国会の発言で改ざんが始まる原因をつくりました。麻生大臣は墓参に来てほしいと伝えたのに国会で私の言葉をねじ曲げました。この2人は調査される側で、再調査しないと発言する立場ではないと思います。〉
しかし、信じがたいことに、雅子さんから反論がおこなわれたあとも安倍首相は「手記には書かれていない。(手記を)読まれたんですか?」「赤木夫人の手記と赤木氏本人の手記と、これは別々のもの」などと発言。赤木さんの苦悩をいちばん近くで感じ、生前の言葉を聞いてきた妻・雅子さんの反論を突っぱねたのだ。
そればかりか、この国会での追及の最中、安倍首相はニヤニヤと笑いながら答弁したり、大臣席で隣に座る麻生財務相と談笑。当時、ネット上では安倍首相のこの態度に大きな批判の声もあがった。