佐川急便との土地取引をめぐる疑惑でTBSを逆ギレ提訴 法廷で証言されたナベツネの関与
『日本の黒幕』は、1990年代はじめに報道された読売新聞と佐川急便との土地取引問題についても、メディアがほとんど報じてこなかった新たな事実を掘り起こしている。
1992年、佐川急便グループの中核企業・東京佐川急便をめぐって金丸信への5億円をはじめとする政治家への巨額裏献金、暴力団、右翼団体への過剰融資が次々発覚。同社社長・渡辺広康らが特別背任容疑で東京地検特捜部に逮捕・起訴された。
その特捜部捜査の真っ只中だった2月、TBSの『ニュース23』などが、読売新聞社がJR新大阪駅前の社有地を佐川急便側に届出価格202億円で売却していたと報じた。
TBSは、当該土地の取引のあった1991年はじめ、佐川急便は経営状態が悪化していたにもかかわらず、相場より50億円近くも高い金で読売から土地を買ったとし、その背景について「読売新聞の渡邉恒雄社長と、東京佐川急便社長だった渡辺広康容疑者、トップ同士のコネクションが決め手で、大物政治家の影もちらついている」と解説した。
しかし、ナベツネはこの報道に対し、「正当な取引」だと主張し、渡辺広康とは「パーティで一、二回会っただけ、土地の話なんてしていない」、交渉も「担当部署が行っていて、自分は無関係」と完全否定。読売新聞社も、報道の取引価格や実勢価格が出鱈目だとして、TBS に1億円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。しかも、さまざまなメディアの取材にナベツネ自身が応じて、「TBSはインチキばかり垂れ流す」と吠えまくった。
こうした勢いに押されてか、他のテレビや新聞はTBSの報じた疑惑を一切検証しようとしなかった。週刊誌も問題を「読売とTBSの喧嘩」に矮小化したり、「TBSの勇み足」とむしろTBSを批判するトーンが大勢を占めた。そして、そのままほとんど話題にならなくなっていた。
しかし『日本の黒幕』は、この読売とTBSの裁判が突然の和解という不可解な決着となったと指摘したうえ、裁判で飛び出していたナベツネの疑惑を裏付ける証言と、政治家の関与の可能性を詳述している。
〈この裁判では、土地取引の一方の当事者である元東京佐川急便社長の渡辺広康(91年7月に同社解雇)が93年7月、東京地裁の出張尋問に応じ、こう証言しているのだ。
「90年11月、首相経験者を含む政治家2人が同席した会食の中で、読売新聞の渡邉恒雄社長(当時副社長)から土地取引を持ちかけられた」
渡辺は具体的な名前をいわなかったが、「同席していた首相経験者」はナベツネの盟友・中曽根康弘だったといわれている。
この会食が行われた同じ日、東京プリンスホテルで太刀川恒夫の東京スポーツ新聞社社長就任を祝うパーティーが開かれていた。太刀川といえば、児玉誉士夫の秘書として戦後の裏面史に暗躍した人物だ。
パーティには、旧児玉系右翼幹部が勢揃いしていたが、乾杯の音頭をとったのがナベツネ、最初にスピーチをしたのが中曽根だった。そして、会場には、旧児玉系右翼に280億円もの乱脈融資をしていた東京佐川の渡辺広康の姿もあった。
TBSは3人がこのパーティーから抜け出して、千代田区内の料理屋で土地の交渉をしたと見ていた。
いずれにしても、ナベツネが政治家同伴の席で、土地の話を持ち出したことを、当事者である元東京佐川・渡辺が裁判で証言していたのである。取引金額がいくらだろうが、これだけでも報道機関のトップとして許される行為ではないだろう。〉