安倍晋三の時も! 辞任した途端、すべてを許してしまう世論が再び悲劇を生む
ようするに、この間、菅首相がやったのは、自分の権力に執着することだけ。国民の生活や健康には一切目を向けず、コロナ被害を拡大させて、国民生活をさらに逼迫させることしかしなかった。
にもかかわらず、やめるとなった途端、すべての問題はなかったことにされ、「がんばった」「かわいそう」という同情論が噴き出ているのだ。
これは、前任者の安倍晋三が病気を理由に政権を放り出したときもそうだった。コロナ対策や不祥事追及に嫌気がさしただけで仮病は明らかだったのに、ネットには同じように同情論が溢れ、責任を追及する意見に対して「病気の人間に追い討ちをかけるつもりなのか」といった批判封じの声が広がった。
もちろん、こうした首相擁護論は、ネトウヨや自民党支持者が仕掛けている部分もあるだろう。しかし、この同情論の広がりはそれだけでは、起きない。背景にはやはり、権力者が「辞める」となったとたんにそれまでのことをうやむやにしてしまう世論とマスコミの姿勢があるといわざるをえない。
しかし、権力者に対して最後まできちんと責任追及しないと、連中は反省などしない。権力の側もまた、辞任ですべてをなかったことにして、後任の人間がまた同じことを繰り返す。
実際、安倍前首相があれだけコロナで失政を重ねたにも関わらず、辞任で国民が許してしまったから、後任の菅首相もまた、同じおざなりな対策しかしなかった。国民が菅首相にこんな同情論を口にしている限り、おそらく、誰がなっても同じことが繰り返されるだろう。
(田部翔太)
最終更新:2021.09.05 10:11