橋下徹の発言は力関係を無視した差別者擁護 想起される大阪市長時代の慰安婦発言
まったく悪質というほかはない。橋下氏のこうした発言は一見、冷静で客観的にみえるが、現実の支配関係、権力関係を棚に上げた強者、差別者擁護の論理そのものだからだ。
今回の相手女性は、渡部から精神的に愛されているわけではないのはもちろん、性的にもトイレという場所で一方的サービスを強いられている。そんな関係を自分から望んでいるわけがない。
彼女たちが渡部に言われるまま会いに行っていたのは、「有名人」で「売れっ子」である渡部に精神的に支配されていたからだろう。
男女関係や恋愛で一方的なマウント構造、支配関係に陥ると、被支配者のポジションにある人間はその理不尽極まりない行為すら受け入れてしまう。しかも、こうした支配関係が一旦できてしまうと、その関係から逃れること自体が難しくなる。恋人や夫にモラハラやDVなど酷い目に遭わせられながら離れられない女性が数多くいるのも、そのためだ。
こうした関係においては、表面的な「納得」や「合意」があっても、それは本当の「納得」や「合意」とは到底言えるものではなく、たんに逆らえなくなっているにすぎない。
これは、性的な関係や婚姻関係だけではない。学校でのいじめ、ブラック企業やパワハラ、カルト宗教の洗脳なども同じだ。当事者でなければ、「そんな会社、辞めればいい」とか「断ればいい」「休めばいい」「逃げればいい」「死ぬようなことじゃない」とかいくらでも冷静な意見は言えるが、こうした悪辣な相手に支配されたら人は簡単に「それだけのこと」ができない精神状態に追い込まれ、ときには命に関わる事態にまでなってしまう。
そういう意味では、渡部の相手をさせられた女性たちを「なんで断らなかったのか」「誘いに乗ったほうが悪い」などと責めるのは、いじめやブラック企業、カルト宗教を肯定するのと同じと言っていいだろう。
今回の橋下氏の発言もまさにそうだ。表面上の「納得」や「合意」があるかどうかを盾に、被害にあった女性たちの問題に還元することで、女性をモノ扱いする行動を肯定するものでしかない。
橋下氏は大阪市長時代の2013年に日本軍の従軍慰安婦について「慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる」「日本軍だけでなく、いろんな国が慰安婦制度を持っていた」と発言し、さらに沖縄の在日米軍にも「もっと風ぞく業を活用して欲しい」と進言し、国際的な大問題にまでなったことがある。
これは、慰安婦や風ぞく業を仕事にしている女性なら性のはけ口にしてもかまわないという明らかな性搾取肯定、女性蔑視発言だったが、今回の発言もこうした考え方の延長線上に出てきたものではないのか。
実際、橋下氏はこの日の『バイキング』でも、渡部が「デートクラブのように遊べる子だと紹介された」と語っていたことについて、「そういうグループだったんでしょ」「そういうおつきあいやっているような人たちもいる」などと、したり顔で語っていた。