2017年4月、東京で行われた三上智恵監督とのトークイベントでの高畑勲監督(撮影=編集部)
75年の節目を迎えた今年の終戦記念日、リテラ が日本の加害責任を改めて問う企画をお届けしているが、締めの第5弾で紹介したいのは、故・高畑勲監督の発言だ。今回本サイトが日本の加害を振り返っているのは、歴史修正主義の跋扈によって、大日本帝国の戦争犯罪がなかったことにされ、メディアの戦争回顧企画も日本人兵士が国のために命を散らした悲劇や日本人が辛苦に耐えた苦労話を美談化したようなものばかりが目立つようになっているからだ。
高畑監督といえば、代表作『火垂るの墓』は戦争の悲惨さを描いた反戦映画の名作として国内外で高い評価を得ている。かつては、夏になれば毎年のように『火垂るの墓』がテレビで放送されていた。
高畑監督自身、ジブリの盟友・宮崎駿監督とともに、反戦・護憲の立場を貫き、とくに晩年は、安倍政権下で“戦争のできる国”づくりがどんどん進む現状を憂い、積極的に発言し行動してきた。
『火垂るの墓』があれだけ人々の感情を揺さぶり、高い評価を得たのも、高畑監督のリアルな戦争体験と戦争への思いが強く反映されていたからだ。
ところが、当の高畑監督は近年、「『火垂るの墓』では戦争を止められない」と発言するようになっていた。
実際、高畑監督は、『火垂るの墓』のあと、日本の「侵略戦争」と「加害責任」を問う作品に取り組もうとしていたと明かしている(日の目を見ることのなくなった“まぼろしの高畑映画”については、既報【https://lite-ra.com/2018/04/post-3949.html】を参照いただきたい)。
それにしても、高畑監督はなぜ「『火垂るの墓』では戦争を止められない」と考えていたのか。高畑監督が亡くなった2018年4月、本サイトではその発言を振り返る記事を掲載した。
その深い洞察は、私たちが戦争に向き合うときに、なぜその被害だけでなく加害責任に向き合わなければいけないのか示唆してくれるものだ。75年目の終戦記念日のきょう、以下に再録するのでぜひ読んで、本当の意味で戦争の記憶を受け継ぐとはどういうことなのか、あらためて考えてもらいたい。
(編集部)