『騎士団長殺し』では父親の体験をモチーフに“加害責任”に踏み込んだ
しかも、村上は父の記憶をモチーフにしながら、父たちを単なる戦争に翻弄された「被害者」の立場にとどめることはしなかった。村上は『騎士団長殺し』でさらに踏み込み、加害者となることの悲劇を描いている。
たとえば、継彦の手による殺戮について、継彦の甥である友人が〈「(叔父は)ショパンとドビュッシーを美しく弾くために生まれてきた男だ。人の首を刎ねるために生まれてきた人間じゃない」〉〈いったん軍隊みたいな暴力的なシステムの中に放り込まれ、上官から命令を与えられたら、どんなに筋の通らない命令であれ、非人間的な命令であれ、それに対してはっきりノーと言えるほどおれは強くないかもしれない〉と同情的な姿勢を示したときのことだ。
村上は、主人公である〈私〉に、〈「人の首を刎ねるために生まれてきた人間が、どこかにいるのか?」〉と反論させ、〈私は自分自身について考えてみた。もし同じような状況に置かれたら、私はどのように行動するだろう?〉と自らに問いかけさせている。
『騎士団長殺し』ではこのほかにも、日本とナチスとの同盟関係、日本のナチスへの加担についても作中で繰り返し指摘するなど、作品全体を通して戦争という負の歴史に向き合い、安倍政権的な歴史修正主義と対決する姿勢が貫かれていた。
村上は『騎士団長殺し』出版時に受けたインタビューのなかではこのような発言をしている。
「歴史というのは国にとっての集合的記憶だから、それを過去のものとして忘れたり、すり替えたりすることは非常に間違ったことだと思う。(歴史修正主義的な動きとは)闘っていかなくてはいけない。小説家にできることは限られているけれど、物語という形で闘っていくことは可能だ」(毎日新聞)
「歴史は集合的な記憶だから、過去のものとして忘れたり、作り替えたりすることは間違ったこと。責任を持って、すべての人が背負っていかなければならないと思う」(朝日新聞)
こうした『騎士団長殺し』に込めた強い覚悟を振り返ると、村上春樹が今回、自分の作家としてのスタイルを変えてまで、『猫を棄てる』を書いた理由がうかびあがってくる。歴史修正主義と対決するために戦争における日本の加害性に踏み込んだ『騎士団長殺し』という作品を発表したにもかかわらず、その問題について、日本のマスコミや文芸批評では、ほとんどと掘り下げられなかった──その危機感が村上を突き動かしているのではないか。