フジテレビ解説委員の平井文夫は自局の責任を棚上げして「人が死んでんのに左翼メディアが」
よくもまあ、恥ずかしげもなくこんな話のスリカエができるものだ。そもそも、政治家とタレントのケースとでは訳が違う。事実、裁判所の判例でも、総理大臣など「公人のなかの公人」と言える人物に関しては「厳しい批判」や「揶揄」も「受忍すべき」という判断を明確に示しているのだ。
フィフィは「意見と中傷は違う」と言って「政治家を馬鹿にするツイート」を攻撃しているが、そもそも、権力者である政治家に対する言論を「中傷」として規制対象にすることの危険性を何もわかっていない。昭恵夫人を「私人」として擁護するのも同様だ。森友問題など、昭恵夫人の言動がこの国の行政を歪ませてきたことはほとんど明らかにもかかわらず、その批判が「中傷」として封じ込められてしまえば、政権や権力に近い人物が関与する疑惑の追及・解明は不可能になってしまうだろう。
極めつきが、フジテレビの平井文夫・上席解説委員だ。フジの平井氏といえば、これまでも安倍政権擁護的なコメントを放ってきた人物だが、きのう27日放送の『バイキング』では、「ネット上の誹謗中傷に関する制度変更」についてこんな発言をしていた。
「これ、言うのは簡単なんですが、やるのは大変なんですね。いざ始めると、必ず文句つける人がいるんですね。今日の朝日新聞読んでたらこう書いてあるわけ。『企業や公人が乱用する恐れがある』『通信の秘密保護と被害救済のバランスを見極めろ』と書いてあるんですね。人が死んでんのに『バランス』ってなんなんだろうって思いますけども。ただこの表現自由っていうのは、もっとも大事な権利だって言われてるんですね。この表現の自由っていうのを盾に今までいろんなことが妨害されてるわけなんです。今回もおそらく、割と左翼側のメディアを中心に、表現の自由を守れ、規制はもうちょっと弱めにしろ、という動きが必ずでます。だから僕は、いま出たようなとおりに(制度変更が)簡単にいくとは思わない」
いやはや、『テラスハウス』を制作・放映したフジテレビの解説委員が、自分たちの責任を完全にネグって「人が死んでんのに」と“左翼メディア”に責任転嫁……愕然とせざるをえないが、ようするに、平井氏は「左翼メディアが言う『表現の自由』なんてどうでもいい」と言いたいのだろう。言うまでもなく、権力の監視がメディアの責務であって、それを支えるのが「表現の自由」であるのに、その「表現の自由」をメディア側が敵視する。もとよりこんな人物に権力の監視など求めるべくもないのかもしれないが、いったいどういう神経をしているのか。