上から目線で〈政策が生活から乖離しているから反対するのはラク〉
三浦センセイは検察庁法改正案への抗議の声をただ〈安倍政権が気に入らない〉だけ、〈政策が生活から乖離している分野であればあるほど、反対するのはラクなのだろうね〉と決めつけているのだが、この分析じたいがめちゃくちゃだ。
そもそも現実は逆で、今回の批判はこれまで安倍政権に批判の声を上げていなかった人たちが大勢声を上げており、だからこそ、いままでにない数になっている。そのことを三浦はいったいどう説明するのか。
しかも、三浦センセイは〈いま一番いうべきは人為的に作り出される恐慌が人々の生活や命を奪うこと〉、つまり声を上げるべきは検察庁法ではなくコロナ対応なのに、と話をすり替えているが、あんたに言われるまでもなく、コロナ対策の問題にだって多くの国民がすでに批判の声を上げている。
今回、検察庁法改正案の問題がここまで盛り上がっているのは、むしろ、生活に直結したコロナ対策の酷さを目の当たりにした国民が、安倍政権の正体に気づき、ほかの分野にもチェックの目を向け始めたからだ。その結果、生活に直結するコロナ対策をおざなりにしている安倍政権が自分たちの支配力を強める検察庁法改正だけを不要不急の状況でゴリ押ししていることがわかり、怒りがさらに大きくなったのである。
そうした世論の動きを一切無視して“国民は生活に関係していることより、生活に乖離しているほうが反対するのはラクだと思っている”って、いったいどこのトンチキ政治学者の学説なのか。
おまけに〈法案が潰れても政権含め大して誰も困らないから〉ときた。政治学者のくせに、「閣議決定によって特別法の優先という法律運用の大原則が崩れてしまった状態」のつじつま合わせをすることが行政機関にとっていかに重要かがわかっていないのだ。
また、今回の検察庁法改正案は、広島地検による河井克行・前法相の立件の動きを牽制する効果を狙っているということは、多くの検察ウォッチャーが指摘している。三浦は別のツイートで〈法案が通っても効力をもつのは2022年度からですからね〉とつぶやいていたが、2022年4月からこの法律が施行されることが決定すれば、いま、現場で捜査に当たっている検事たちの将来に大きく影響する。十分、忖度と萎縮を与えることができるだろう。
だからこそ、安倍政権はいくら批判を浴びてもこの法案を通そうとしているのではないか。その事実をまったく見ずに、〈法案が潰れても政権含め大して誰も困らないから〉などうそぶくのだから、悪質と言うほかない。