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糸井重里が“スポーツ中継のかわりにコロナの医療現場を実況中継しろ” コロナ禍すら“消費対象の娯楽”と捉える80年代脳

医療従事者をヒーロー扱いしながら、現場環境の改善には口をつぐむ糸井

先日の「責めるな」ツイートの際も同様だったが、この人にとって、コロナによって多くの人々の健康や生活が危機に晒されていることなど、他人事。どうでもいのだろう。

 だから、糸井は医療従事者やエッセンシャルワーカーの現場を見たいと言う一方で、彼らの職場環境や待遇を改善するよう声をあげることはしない。大好きだというスポーツに対しても同じだ。スポーツが中止になったことで、一部の高額所得の選手以外は苦境に立たされている選手も多いだろうが、それを心配したりサポートするよう声をあげるわけではない。中継がなくなってつまらない、録画や再放送じゃダメなどと、結局のところ自分の楽しみのことしか考えていない。

 それどころか、このコロナによって命を危険に晒しながら働かざるを得ない人たちのことまで、娯楽の代わりとして持ち出してしまう。これは、例の岡村隆史の「コロナで可愛い子が風俗嬢に」発言とも通じるグロテスクな発想だ。

 ウイルスは、国籍や人種、収入の多寡にかかわらず、誰にでも等しく感染しうるものだが、現実には、世界中で貧しい者、弱者にいちばんダメージを与えている。

 糸井重里のゆるふわな表現にひきずられて、まだ「いまは批判しているときじゃない」とか口にする善良な“もたざる人々”が数多くいるが、そろそろ、みんな糸井重里の本質にきづくべきではないのか。

最終更新:2020.05.02 02:31

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