東国原「戦後日本は韓国に我慢してきた」に古谷は「韓国の人は植民地時代に我慢してきた」
しかし、古谷氏はこの東国原のプレゼンに対しても、もっと根本的な問題を突く。そのくだりを書き起こしてみよう。
古谷「東さん、さっきプレゼンのときにですね、戦後日本は70年間韓国に我慢してきたとおっしゃいましたよね。具体的に何を我慢してきたんですか?」
東国原「慰安婦問題だとか、1965年の日韓基本条約ですね、経済協力もね、あれは僕我慢だと思いますよ。1950年代からずっと話し合いがありましたよね、朝鮮戦争終わってから。そこからずっとお互い歩み寄った。本当は、日本は経済協力等々はしたくなかったと思います。でも、戦後処理として我慢をして、そして韓国の意見を取り入れて、3億ドルの無償、2億ドルの有償、3億ドルの民間、計8億ドルという当時の韓国の国家予算の数倍といわれた、そういうのを拠出したんだと。それはね、我慢だと僕は思いますよ」
古谷「我慢だとおっしゃってるんですけど、僕からしたら、1910年から1945年までの間、日本が非合法的に朝鮮半島を植民地にしてきた、その謝罪と和解のお金であって、日本が戦後70年間我慢してきたんであれば、韓国の、朝鮮半島の人たちは1910年から45年まで我慢してきたんですよ。それはあまりにも日本の解釈に寄った発言だと思います」
おおむね古谷氏の言う通りだろう。実際には、日韓請求権協定をめぐっては、日本側が意図的に「謝罪」や「賠償」の性質を入れないようにした。実際、5億ドル(無償3億ドル、有償2億ドル)の供与と3億ドルの民間融資は、あくまで経済協力という名目であり、賠償ではないというのが日本政府の立場だ。
つまり、日本は朝鮮の植民地支配に対する「賠償」をせず、責任を曖昧にしたままだったにもかかわらず、安倍政権は協定のなかに「完全かつ最終的に解決された」という文言が入っているのをタテにして、徴用工問題で「国と国との約束を破った」などと一方的にがなりたてているのである。東国原の主張も、まさにこの安倍政権の強弁のトレースだ。ちなみに、この請求権協定でも個人の請求権は失われない。それは、歴代の日本政府の解釈でもそうである。