「笑わせる快感がドラッグより勝っている」論の頭の悪さ
それに、芸人はドラッグをやっていなくても、他の犯罪や不祥事はいくらでもある。酒がらみの事件、性的暴行や強制わいせつなど、女性に対する性犯罪や女性側が泣き寝入りしたり事件化こそしていないだけでそれに準ずる不祥事も枚挙にいとまがない。警察沙汰にこそなっていないが、合コンを巡ってセクハラや性暴力まがいの実態が報道された芸人は数多くいる。
たまたま薬物犯罪が少ないことを自慢しているヒマがあったら、お笑い界の女性蔑視体質を一刻も早くあらためるべきだろう。それとも「クスリはダメだけど、性犯罪はOK」というのがお笑い芸人共通の価値観なんだろうか(そういえば、松本人志は、薬物で逮捕されたピエール瀧の作品はNGで、強制性交で逮捕された新井浩文の作品はOKとでもいうような転倒したことを言っていたが……)。
さらに、芸人が薬物をやらない理由として、多くの者が「お笑いがウケたときの快感がドラッグより勝っているから」などと言っているのも意味不明だ。それを言うなら、ミュージシャンのライブだって同じ。むしろこれまで薬物で逮捕された国内外のミュージシャンたちのライブのほうがはるかに規模も大きく快感も大きいだろう。
岡村の「クスリの力でおもしろいこと言うてたって言われるのがイヤ」発言や今田の「おもしろいことは、いかにクリアな頭で考えて、計算して笑い取るかということ」発言にいたっては、松本人志のドーピング発言同様、表現に対する意識の低さを露呈するものでしかない。
音楽、文学、映画、美術……古今東西あらゆるジャンルの表現や創作は、現状の社会の法律や倫理の枠に収まらない人間の狂気によって生まれ、そのことでいまある社会からこぼれ落ちている人間を救ったり、既存の価値観を壊し世界を更新させてきた。そのなかにはもちろん、薬物やアルコールに溺れた作家もいたが、だからといって、その作品に価値がないなどというような論評は、これまで聞いたことがない
そもそも創作活動は、様々な外的要因・内的要因の影響を受けるもので、どのファクターがどう作品に影響しているかどうかなど、明確に規定できるものではない。それを「ドラッグやってるから」とか「ドーピング」などと決めつけるのは、頭が悪すぎるだろう。
「クリアな頭で計算」などと言うが、本当に世の中の価値観をひっくり返すような新しい作品や突き抜けた作品は「計算」だけでは決して生まれえない。一般常識から逸脱する一種の狂気のようなものが必要なことは歴史が証明している。
お笑いが「計算からしか生まれない」という主張は、むしろ、現在のお笑いがいかに予定調和でつまらないかを語っているようなものではないか。