警察組織と差別の親和性、警察専門誌にヘイトデモの中心人物が執筆
いや、こうした警察の態度は、他の抗議活動の場でも目の当たりにするものだ。現に、国会前や官邸前でおこなわれる政権に抗議する運動でも、警察は「安全のための警備」を大義名分にしながら、鉄柵で道路側を封鎖した狭いエリアに参加者を押し込み、参加者が体調不良を訴えても無視。逆に、警官が膨れあがった参加者を押し返すため将棋倒しや群衆雪崩が起こってもおかしくない状況が生み出されてきた。
そして、もっとも象徴的なのが、沖縄の反基地運動の現場だ。辺野古でも高江でも、非暴力・無抵抗の市民に対して警察は強制排除をし、やはり首を絞め上げるなどの警官による暴力がおこなわれ、挙げ句、「ボケ、土人が」「黙れコラ、シナ人」などの差別発言まで飛び出した。市民を守るのが警察の仕事だが、これでは「政府や差別主義者のための警察」ではないか。
以前、本サイトでは、“警察官しか読めない専門誌”の存在を暴き、その専門誌では百田尚樹や渡部昇一(故人)、西尾幹二といった歴史修正主義者たちから、タカ派国防論者、日本スゴイ本やヘイト本著者、日本会議代表委員などといった極右が記事を執筆してきたことを紹介。近年のヘイトデモの中心人物のひとりである瀬戸弘幸も執筆者として登場していた(詳しくはhttps://lite-ra.com/2016/10/post-2648.html)。
極右言論界とヘイト界隈をごった煮にしたようなトンデモ編集方針の雑誌を、中立公正であるべき公務員の警察が組織をあげて推薦し、図書係を通じて購読を斡旋している──。無論、これは氷山の一角にすぎず、警察組織内では、抗議市民を左翼だと位置づけて“敵”と見なしたり、差別意識を植え付けるような講演や勉強会が日々おこなわれているのだ。そして、現政権もまた、同じく差別に対して“寛容”な姿勢を取っている。
つまり、警察の組織全体の差別的な姿勢、そして安倍政権と差別主義者たちの親和性によって、差別煽動は守られつづけているのである。
だが、この国ではこうした現実に対する危機感はほとんど共有されていない。冒頭で述べた3月9日のデモに対しても、Twitter上には「デモするほうも抗議するほうもどっちもどっち」「観光客に迷惑をかけているのは一緒」などという意見が噴出。共同通信も「ヘイトデモと反対派衝突、京都 観光地騒然」とまるで、どちらも迷惑行為であるかのように書き立てた。
言っておくが、レイシストたちが公然とおこなうヘイトスピーチに対して、市民が「差別をやめろ」とカウンター行動を起こすことは当然の行為であり、成熟した市民社会を形成するものだ。事実、カウンターの盛り上がりによって、ヘイトスピーチに対する社会的関心は高まり、差別扇動の抑止につながっていった。
これを「どっちもどっち」などと冷笑する行為はまさに差別と民主主義破壊への加担でしかない。レイシストを守り、ヘイトスピーチをさせるための警備に人員を割き、税金が投入されているという恥ずべき状況に、市民が「ふざけるな」「警察は差別に加担するな」と声を上げなければいけない。
(編集部)
最終更新:2019.03.12 09:34