国会図書館でもヴァリニャーノの著作や資料集を片っ端から調べたが…
たしかにヴァリニャーノは在日中に何度も報告を上げており、初来日した1579年の12月にもイエズス会総長宛てなどの書簡を複数の日に送っていたようだ。しかし、いくら調べても『日本国紀』が引いている文章と同一の邦訳は見つけられなかった。
たとえば、邦訳されているヴァリニャーノの代表的な著作に「日本巡察記」というものがあるが、ここにも、百田センセイが指摘しているような書簡は掲載されていなかった。また、ヴァリニャーノが書いた報告書などを紹介する資料集(たとえば岩波書店「大航海時代叢書」所収の『イエズス会と日本』など)をはじめ、日欧関係史関連の歴史学系、キリシタン学系、スペイン・ポルトガル関連の学会誌などでヴァリニャーノの名前があがっている論文等に多数あたってみたが、百田氏の記述と同じ邦訳を見つけることはできなかった。
ただし、ヴァリニャーノがそういった内容の書簡を送ったことを記しているものはあった。前掲の「日本巡察記」の桃源社版(榎一雄監修『東西交渉旅行記全集』、松田毅一・佐久間正訳『日本巡察記』1965年)では、研究者の松田毅一氏が解説で、ヴァリニャーノが1579年12月2日付でイエズス会総長へ向けて出した書簡のなかに、〈日本を征服しようとするヨーロッパ植民勢力の凡ゆる試みは、「軍事的には不可能」であり、「経済的には利益がない」〉との内容があったと短く紹介している。注釈によれば、どうやら書簡から直接的に翻訳・引用されたものではなく、シュッテ(Schütte)というイエズス会研究者の大著(邦訳未刊)に基づく解説らしい。
また、比較歴史学・日欧交渉史を専門とする高橋裕史・苫小牧駒澤大学准教授の著書『武器・十字架と戦国日本 イエズス会宣教師と「対日武力征服計画」の真相』(洋泉社、2012年)に、ヴァリニャーノの1579年12月2日付書簡について、「日本は外国人の兵士の手で征服され得ない」「日本はこの世でもっとも堅固で険しい地で、日本人はもっとも好戦的だからである」「難攻不落の要塞が、高く非常に険しい山中にたくさんある。日本人はきわめて大勢であり、海に囲まれた島々にもいるため、彼らに対抗できる強国も兵士も存在しない」といった記述があると紹介されている。注釈をみると、ローマのイエズス会文書館に保管されている史料を高橋氏が翻訳・引用したものようだ。
しかし、この高橋氏による引用の文言も、百田センセイが『日本国紀』に書いている「日本人の好戦性、大軍勢、城郭、狡猾さと、ヨーロッパ各国の軍事費を比較して、日本を征服することは不可能である」という“引用風”の記述とは違う。結局、『日本国紀』の記述とほぼぴたりと一致するのは、いまのところ「Yahoo!知恵袋」だけなのである。
あとは、“勉強熱心な”百田センセイがイエズス会文書館に保管されているらしい本物の書簡をローマまで出かけて自分の手で翻訳・検証したか、あるいは、高橋氏の本の部分的な翻訳を要約したらたまたま「Yahoo!知恵袋」と一致してしまったという可能性だが、そんなことがありうるのか。
いずれにしても、百田センセイはしっかり出典を示して、読者の疑問に答える責任があると思うが、これまでの経緯を考えると、きっと無理だろうなあ。