Metoo理解者を装いながら女性だけを攻撃しMetoo封じる三浦瑠麗の悪質
さらに、三浦はこうも書いている。
〈釘を刺しておきたいのは、男性が女性を蔑視する意識は問題だけれども、その意識改革の過程でピューリタニズム的な方向に行かないように気を付けるべき、ということ。「自分の胸のかたちは好きだけれど、ふしだらではないんです。そういう目で見ないでください。」というメッセージは、結局女性にとって都合のいい理屈でしかないし、結果的には「ふしだら」批判を存続させ、女性を苦しめることに繋がるからです。〉
「自分の胸のかたちが好きだけど、ふしだらな目で見るな」と主張することの、一体どこが悪いと言うのか。女性の胸は、男性の性的欲望を満たすものとしてあるのではない。好きな胸を際立たせるファッションに身を包んでも、それは男性を喜ばせるためではなく自分のための表現だ。「ふしだら」などという男権的な価値観にもとづいて女性に烙印を押す言葉をなくすには「私の身体は私のもの」という当然の権利意識を根付かせることが第一だが、なのに三浦は「女性にとっていい理屈でしかない」などと言い、女性の自由を奪おうとするのである。
これまでも三浦は、財務省セクハラ問題で〈性暴力は親告罪。セクハラでも被害者が情報を提供しないと、それ以外に認定することができない〉と2017年の刑法改正を知らないという無知を晒したかと思えば、財務省による調査協力という名の“恫喝”行為を〈みんなで名乗り出ないと Metooにはならない〉〈ここではみんなで「言えないよね」というのではなく、いるならみんなで名のり出よう、というべき〉などと主張してきた。セクハラや性暴力をはたらいているのも、男性優位社会で特権を享受しているのも男性なのに、三浦はなぜかいつも女性にばかりあれこれ注文をつけて、男性の言動や意識は問題にしないのだ。いろいろ御託を並べているが、ようは女性を萎縮させるMetoo封じでしかない。ブログ記事では〈Metoo問題について積極的に発言してきた私〉などと書いているが、よく言えたものである。
あたかもMetooの理解者のようなふりをしながら、Metooを封じセクハラ男性にお墨付きを与えている三浦瑠麗の言動は、松本人志らセクハラ丸出し男性以上に悪質と言っていいだろう。
(編集部)
最終更新:2019.01.17 11:19