古市、落合の「最後の1カ月の医療不要」を芥川賞作家が批判
唖然とするしかない内容だが、こうした発言の問題点を最初に指摘したのは、芥川賞作家の磯崎憲一郎だった。磯崎は朝日新聞(12月26日)の文芸時評で二人の発言を取り上げ、これをきっかけにネットでも批判の声が広がっていった。
磯崎は、古市が「胃ろうを作ったり、ベットでただ眠ったり、その一ヶ月は必要ないんじゃないですか」「大したことない話のはず」などと切って捨てていることに対し〈余命一カ月と宣告された命を前にしたとき、更に生き延びてくれるかもしれない一%の可能性に賭けずにはいられないのが人間〉として、二人を〈想像力の欠如〉〈想像力と、加えて身体性の欠如に絶望する〉と、痛烈に批判していた。
磯崎の指摘は正鵠を射たものだが、しかし、二人の発言のひどさは、「想像力や身体性の欠如」というレベルですむ話ではない。
古市と落合は、この「終末期医療カット」論がまるで、客観的根拠に基づいた冷静でプラグマティックな提言であるかのように語っているが、実際は、国家の役に立つ見込みのない人間を1カ月生きながらえさせるのはコストが合わない、貧乏人は延命治療を受けずに早く死ね、と言っているにすぎない。
〈高齢者に「十年早く死んでくれ」と言うわけじゃなくて、「最後の一ヶ月間の延命治療はやめませんか?」と提案すればいい〉(古市)
〈災害時のトリアージで、黒いタグをつけられると治療してもらえないでしょう。それと同じようにあといくばくかで死んでしまうほど重度の段階になった人も同様に考える〉(落合)
〈延命治療をして欲しい人は自分でお金を払えばいい〉(落合)
〈社会保障費を削れば国家の寿命は伸びる〉(古市)
これらは、長谷川豊が大炎上した「人工透析患者は殺せ」発言や、杉田水脈衆院議員の「生産性がない」発言、そして相模原障がい者殺傷事件の植松聖被告と、同根の発想ではないか。