第二次安倍政権以後、「官邸の直轄地」といわれるようになった岩国市
少なくとも、山口県警が「接待を受けた県の担当職員が入札参加要件を変更した結果、ナルキが受注した」という線で、立件しようと動いていたのは間違いなかった。しかし、いつ捜査着手のゴーサインが出ても不思議ではないほどの捜査内容だったにもかかわらず、結局、この事件は先述したように、立件されることはなかった。捜査は明らかに途中で潰されたのだ。
ちなみに流出した捜査資料は、2012年12月の第二次安倍政権誕生から1年半後の2014年5月26日が最後だった。「捜査は打ち切られたが、この談合疑惑が闇に葬られないようにして欲しい」という捜査関係者の叫びが聞こえてくるようだった。
この不可解な捜査幕引きはやはり、ナルキの創業者一族である畑原県議(当時)とそのバックにいる安倍首相の威光抜きには考えられないだろう。
いまは息子が二代目後継県議となっているが、畑原氏は現職県議時代、「安倍首相や菅義偉官房長官と携帯電話で話す間柄」と議長就任のインタビューで話すなど、中央とのパイプの太さを自慢していた。
畑原氏が存在感を高めた一因は、井原勝介・岩国市長の革新市政(1999年~2008年)に終止符を打つのに貢献したこととされる。岩国基地への空母艦載機部隊移転に反対する井原市長(当時)は、住民投票を実施して「85%反対」という結果を引出し、徹底抗戦の構えを見せていた。これに対し防衛省は基地関連の補助金を一部撤回、その結果、市庁舎建設をめぐって市議会との対立が激化、市長は辞職して出直し市長選に臨んだが、2008年2月、元自民党衆院議員の福田良彦氏(現市長)に僅差で敗れた。
「この時、畑原氏は地元財界と共に、市議から衆議院議員になって間もない福田氏に対し、『仮に落選しても、その後の生活費は保障するから出馬して欲しい』と説得、基地拡大容認の保守市政誕生に貢献した。これで党県連や県議会での存在感が高まった」(県政ウォッチャー)
福田市政誕生の効果は、基地バブル到来という形で現れた。米空母艦載機部隊の移転に向けて岩国基地の沖合に基地を拡大する事業費は約2500億円にも及んだ。周辺でも基地受入の見返りのような関連事業が進み、軍民共用の岩国錦帯橋空港への民間機就航も2012年12月に開始。いまや岩国市は「第二の沖縄」「官邸の直轄地」(市議会関係者)で、基地関連事業の建設ラッシュで活況を呈している。
そして、第二次安倍政権誕生後、平瀬ダムの予算も急増した。2012年度には5億5500万円だった予算額は、翌13年度は9億5000万円になり、その翌々年の14年度も15億5000万円、3年目の15年度も39億6700万円、そして4年目の15年度は43億8675万円へと増え続けた。その過程で、安倍首相直系の畑原県議一族の会社「ナルキ」に工事が発注されたのだ。