たけしも、テレビ各局も、オウムと麻原彰晃をもてはやした過去をなかったことに
まさに麻原彰晃に入れ込み、事実上の“オウムの広告塔”となったたけしだが、実際に『TVタックル』の録画終了後、たけし本人から個人的に麻原元死刑囚に働きかけがあったとされ、翌年、ふたりは月刊誌「BART」(集英社/休刊)92年6月号での対談で再会を果たした。そこでもたけしは、やはり「面白いよなあ、麻原さんて」「宗教からいちばん遠い人のような気もする」と褒め称えていた。
言っておくがこの時期、すでにオウムは様々な問題点が指摘され「オウム真理教被害者の会」(現「オウム真理教家族の会」)も設立されるなど社会問題化しており、明るみになっていなかったとはいえ坂本弁護士一家殺害事件などの凶悪犯罪も起こしていた。その後、94年に松本サリン事件、95年に地下鉄サリン事件が発生し、オウムへの強制捜査と麻原元死刑囚の逮捕が秒読みになるにつれ、たけしは豹変する。
1995年春、出演したハリウッド映画『JM』の記者会見の場でオウム真理教についてコメントを求められると「なぜ、そんなことをこの席で答えなければならないんだ」と発言。同時期の「週刊ポスト」(小学館)の連載では「オイラもちょっとは彼らのことを認めてたんだけどさ。(中略)こんな騒動になるとは思ってもみなかったものな」と逃げの姿勢を見せはじめ、以後、麻原元死刑囚を評価していたことなど、まるでなかったかのように振る舞ったのである。
だが、たけしの影響力を考えれば、テレビや雑誌に麻原元死刑囚をひっぱりだし、その存在を大きく広めたことよって、教団に接近した若者も少なくなかったはずだ。そうした過去を完全にネグりながら、麻原死刑執行について「官僚なんか今見ると、いい成績なのに本当に間抜けなことしてるでしょ(笑)」などと他人事のコメントするのは、あまりに無責任すぎる。
もっとも、オウム事件をめぐる責任に知らんぷりを決め込んだのは、たけしだけではない。今回のオウム報道に際して、テレビメディア全体がその“負の歴史”をあからさまにネグっていた。
繰り返すが、オウム真理教には高まる疑惑をメディアへの露出によって相殺しようという狙いがあり、テレビは当時のスピリチュアルブームの流れのなかで麻原彰晃をタレントのように起用。たとえば、日本テレビも麻原元死刑囚と、当時絶頂期だったとんねるずを共演させ、テレビ朝日も前述の『TVタックル』や『朝まで生テレビ!!』に麻原元死刑囚らを出演させた。ようは、オウムのPR戦略に丸乗りしていたわけだ。
ところが、死刑執行日にオウム特番を組んだテレビ各局は、朝から「執行手続を始める」「死刑執行へ」と速報を打ち、麻原元死刑囚らが1990年衆院選で「しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこー」と歌う映像などを繰り返し流す一方、自らの“負の歴史”には一切触れなかったのである。