学内選挙で脅迫状、許永中との関係、業者との癒着…様々な疑惑で学内調査の対象に
田中理事長をめぐっては、ほかにも闇社会との接点が度々報じられてきた。
田中理事長のこうした闇社会との関係は日大相撲部監督時代からだという。そのキーマンが、戦後最大の経済事件といわれたイトマン事件や約束手形をめぐる詐欺事件・石橋産業事件などで知られる許永中だ。当時、許永中に騙された被害者が東京地検特捜部に陳述書を提出しているのだが、そのなかに、許の自宅を訪問した際、相撲協会の境川理事長と当時日大相撲部監督の田中氏が同席していたため、すっかり信用してしまったという旨のくだりが出てくる。
つまり、田中理事長は許の詐欺に協力するほど、許と親しかったらしい。そして、田中理事長はこの許との関係を足がかりに、闇社会人脈を広げていった。当時の「週刊文春」(2005年6月23日号)には、日大関係者のこんな証言が掲載されている。
「田中氏は許被告から様々な闇人脈を紹介されたらしく、許被告に紹介された山口組の大幹部に、数百万もする高級腕時計をもらったと学内で自慢していたこともありました」
しかも、田中理事長はこうした闇人脈を学内における権力掌握に利用していった節がある。田中氏がまだ常務理事だった2003年末、日大では瀨在幸安総長らに“実弾入り”の脅迫状が送られるという事件が起きるのだが、そのときに関与が疑われたのが、田中氏だった。
田中氏はもともと瀨在総長の側近だったが、ある時期から瀨在総長に切られ、反瀨在派の急先鋒的存在になっていた。当時、日大は2005年の総長選に向けて、佐々木恵彦・副総長を推す瀨在総長派と小嶋勝衛・理工学部長を推す反瀨在派に真っ二つに割れていたのだが、田中氏は小嶋氏陣営の黒幕として瀨在派の切り崩しを行っていたという(肩書きはすべて当時)。
「事件への関与は結局、不明なまま終わったが、こうした闇社会との関係が無言の圧力になり、瀨在派はどんどん切り崩され、結局、田中氏の推す小嶋氏が学長になった。田中氏はその後も、学内で暴力的な恫喝を繰り返し、恐怖支配を敷くことで、権力の階段をのぼっていったんです」(当時を知る日大関係者)
また、田中氏には暴力団だけでなく、大学の施設を建設する建設業者との癒着も度々噂されてきた。たとえば2005年には、日大の工事の受注を狙った業者から、発注の謝礼と思われる金を受け取った疑惑について、学内の調査対象になっている。
さらに2013年には、読売新聞に、建設業者からのリベートが報道された(2月1日付)。記事によれば田中氏が12年までの約6年間に、大学施設の解体や修繕などの工事を受注した建設会社から計5百数十万円を受け取っていたという。
「田中氏はたんに利権や金を私物化するだけでなく、学内にこうした利権をばらまくことで、自分の味方を増やし、絶対的な権力を築いていったんです」(当時を知る日大関係者)