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小室哲哉の不倫を報道した週刊文春は悪くない! おかしいのは女性と小物だけを糾弾する世間とテレビだ

岡田准一、松潤にはバッシングなし、テレビが決めるバッシング

 まさに不公平を通り越して理不尽としか思えないが、それはもうひとつの理由も同じだ。今回、小室を擁護し、文春を批判する多くのツイッターがこう叫んでいた。

「小室さんは日本の宝なのに」
「小室さんの音楽によって救われた人も大勢いるのに」

 小室が本当に日本の宝なのか、小室の音楽で救われた人がいるのかを議論するつもりはないが、この論理は明らかにおかしいだろう。不倫がダメというなら、性別や地位、業績とは無関係に糾弾されるべきだ。それを功績があるから不倫を報じるな!などというのは、明らかな差別、エリート主義ではないか。

 しかし、この差別的エリート主義は明らかに「世間」の指標にとして機能している。権力者、大物芸能人は何をやっても許され、女性や小物芸能人だけを袋叩きにされる。不倫そのものが問題なのではなく、「誰が不倫をするか」が問題になってしまっているのだ。

 そして、この不公平な扱いをさらにエスカレートさせているのが、テレビだ。芸能人が大々的なバッシングが起きているかどうかは、結局、テレビが後追い報道するかどうかにかかっている。

 しかし、テレビはその芸能人が大手プロダクション所属の場合は、どんな鬼畜行為をしていようが一切報道しない。その結果、バッシングもネットに一部に止まり、本格的な炎上は起きない。たとえば嵐・松本潤の二股報道、たとえば岡田准一と宮崎あおいの不倫報道で、まったくと言っていいほど、バッシングは起きていなかったのも、テレビが一切報じていなかったからだ。

 これと逆だったのが、昨年、成宮寛貴が「フライデー」(講談社)に薬物疑惑を報じられたことをきっかけに、引退に追い込まれたケースだ。

 通常、週刊誌がいくら報道をしても、テレビは逮捕もされていない段階で、芸能人の薬物疑惑を取り上げることは絶対にない。ところが、本サイトでも既報の通り、成宮が所属するプロダクション・トップコートは“芸能界の後ろ盾”の弱い事務所で、しかも、大手芸能事務所の「弱小潰し」の標的にもなっていた。

 そこで、ASKAや清原などの“薬物事件逮捕報道”で味をしめていたテレビ局が、大手芸能事務所の意を忖度して、「疑惑」段階であるにもかかわらず「フライデー」の後追いに踏み切り、大騒動に発展。成宮は引退に追い込まれたのだ。

 しかし一方で同種の疑惑を週刊誌に報じられながら一切批判にさらされなかった人物もいる。08年に「週刊現代」(講談社)は、嵐・大野智の“大麻3P疑惑”を報じたことがあった。記事では、大野とカラオケボックスで同席した女性が、参加者の取り出した大麻を大野が「面白いねぇ~」と言いながら楽しげにそれを吸ったこと、その後、カラオケボックスを出て女性2名と3Pとなったことなどを告白。しかも、大野があきらかに“イってる”目つきで女性と写っている写真も掲載され、その内容はある意味、「フライデー」の成宮記事よりも生々しいものだった。

 だが、このとき、大野の大麻疑惑を報じたテレビ局は一社もない。スポーツ紙も東京スポーツのみが後追い記事を出しただけだ。もちろん、「週刊現代」が出たあとも、大野がテレビ出演を見合わせるなんてことは一切なかった。

 これは、清原のケースでもほとんど同じだった。「週刊文春」が覚醒剤使用疑惑を暴き、警察が内偵を続けているという情報がマスコミで流れても、テレビ局は清原がバーニング系の大手芸能プロダクション・ケイダッシュの“所属扱い”だったことから問題視せず、『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS)をはじめとして清原を番組に出演させてきた。

 こうしたケースと、たかだか不倫であそこまで血祭りにされたベッキーのケースを比べれば、問題が週刊誌報道にあるわけでないことは明らかだろう。「週刊文春を廃刊しろ」などとヒステリックに叫ぶことは、むしろ国民の知る権利を阻み、強者は何をやっても許されるファシズム的空気を助長することにしかならない、ということを強く主張しておきたい。

最終更新:2018.01.23 01:41

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