それを受けて、番組にはリスナーから平匡に対してこんなお叱りの感想メールが大量に届いたという。
〈7話の最後のシーンはもう。平匡さんのバカ〉
〈世間では『平匡なにしてんだ!』という意見と、『みくり早まったな』という意見と二択に別れております。源さんの意見を是非お聞かせ願いたいです〉
ただ、これを読んで星野は重要な指摘をする。メールの「男だったらこういうとき逃げちゃダメだ」という意見は、「男ならこうすべき、女だったらこうあるべし」的な性別によるレッテル貼りの行為だとして、物語の登場人物たちはそういうレッテル貼りにこそ苦しめられているのではないかと看破したのだ。
「平匡が拒否するというエンディングになったときに、やっぱりみんな怒っている怒り方が、メールとかを見ていると、『男なのに何やってんだ! 女性から申し込まれたそういう誘いを男がなぜ断るか?』って怒っているんだけど、それって、平匡なり、みくりなりがずっと苦しんできた“男に生まれたから”っていうレッテル、“女に生まれたから”っていうレッテル。そういうものとまったく一緒なんですよね」
星野はさらに分かりやすくなるように、男女を逆転させて議論を進めていく。
「すごく分かりやすいなと思うのは、男女を反転するだけで全然怒る気持ちにならないんです。いままで彼氏がいたことがなくて、そういうこともしたことがない女性に対して『いいですよ、あなたとならしても』って男が言ったときに感じる感情って全然違うじゃないですか。怒りじゃない。それで拒否しても、全く怒る気にならない。『それはしょうがないよね』ってなる。でも、男になっただけで『お前、しっかりしろよ!』ってみんなから言われるっていうことは、それはいかにみんなが男と女というレッテルに縛られているかっていうことの証明なんですよね。だから、出演者が苦しんでいる理由は、見ている人たちの、怒った人たちの心のなかにある」
社会の価値観に絡め取られるのではなく、社会観の価値を疑ってみる。──最終話では、果たして問題提起した「愛情の搾取」をどのように着地させるのか、そしてどんな結論へと向かっていくのか。今夜の放送が楽しみだ。
(新田 樹)
最終更新:2018.10.18 01:50