意図的な誤訳、恣意的な引用で「ヒトラーは命令していない」と証拠を捏造
まだある。前述のとおり、裁判シーンの発言は裁判記録を再現しているのだが、法廷でアーヴィングの著書の恣意的な引用や資料な読み替えが徹底して暴かれる場面は、歴史修正主義に対抗するための“お手本”となるだろう。たとえば、この歴史修正主義者はドイツ語資料を“ヒトラーは命令していない”という自らの願望に沿わせるよう英訳していたことが明らかになるのだが、日本でもこうした行為は日常的に行われている。
典型的なのが「侵略戦争はウソで、マッカーサーも日本の戦争が『自衛戦争』だと証言している!」なる主張だ。歴史修正主義者らによれば、これは1951年の米国議会での発言が根拠。右派・ネトウヨ界隈では幾度となく「引用」されてきたので、うっかり信じてしまっている人も少なくないだろう。しかし実際には、原文にある“security”の語を無理やり「自衛戦争」と誤訳し、しかも前後の文脈を意図的に切断して使っているにすぎない。だいたい、原文を普通に読めば、「あなたが提案する中国共産党(Red China)に対する海と空の閉鎖はアメリカが太平洋戦争で日本に勝利した戦略と一緒では?」という質問に答えて、マッカーサーが当時の日本をめぐる物資流通等の状況を解説しているだけで、「日本の侵略戦争の否定」など微塵もしていないのは自明である。
当然、一般的な歴史学者や近代史家からは相手にされていないトンデモだが、この誤訳はどんどんネットで尾ひれがついたらしく、「日本の皆さん、先の大戦はアメリカが悪かったのです。日本は何も悪くありません」「東京裁判はお芝居だったのです。アメリカが作った憲法を日本に押し付け、戦争ができない国にしました」「自虐史観を持つべきは、日本ではなくアメリカなのです」などといった、原型をとどめていない驚くべき内容に捏造され拡散。あろうことか2014年には当時の宮城県名取市市長が市の広報に掲載してしまうという、目も当てられない事態に発展したこともあった。
まさに歴史研究の基本のキである“記述を疑い原典にあたれ”だ。ちなみに、ホロコースト否定論者のアーヴィングは、実のところ、歴史学を専門に大学で訓練を受けたわけではない“著述家”である。日本では、ちょうどこの裁判と同じ時期に「新しい歴史教科書をつくる会」が躍動していたが、関連する「学者」や「教授」のほとんどが歴史学を専門にしていなかったことは示唆的かもしれない(たとえば藤岡信勝は教育学、西尾幹二はドイツ思想・文学、田中英道は美術史、高橋史朗は教育学、八木秀次は憲法学、中西輝政と田久保忠衛は国際政治学、渡部昇一は英語文法史、などなど)。