宇多田ヒカル、AKBをめぐっても暴力団とのトラブルが
暴力団のテーマ曲というと、鳥羽一郎も同様にヤクザのために曲を提供していたと報じられた。91年に歌われた、〈残侠一代 嵐か雨か 涙噛みしめ 武蔵野の 土に刻まん この命〉という歌詞の「道」は住吉会のためにつくられた曲であったといわれる。また、細川たかしは、2008年9月、山口組系後藤組・後藤忠政組長の誕生日ゴルフコンペに参加していたことが週刊誌にスッパ抜かれた。この年は詐欺事件「円天騒動」に関与していたことも重なり、細川は紅白歌合戦の出場辞退に追い込まれている。
一風変わった騒動では、宇多田ヒカルがブレイクを果たした99年に藤圭子が起こしたトラブルがある。娘が新世代の歌手として時代の寵児となりつつあったこの年、藤圭子が地方営業しているルポを「女性セブン」(小学館)が「娘の大ブレイクの陰で母親はドサ回りの日々」といった面白おかしい切り口で紹介。そのことに藤圭子の興行に長年関わっていた暴力団が激怒した。記事が掲載されていた「女性セブン」99年4月22日号はすでに印刷に入っていたのだが、輪転機をストップさせ内容を差し替えさせたという。
ここまで演歌界と暴力団のつながりを見てきたが、ポップスやロックのミュージシャンも、もちろん暴力団と無縁ではない。そのひとりが松山千春だ。彼は90年、稲川会の忘年会にメインゲストとして登壇、持ち歌まで披露した件が明るみになっている。これについて「FRIDAY」92年1月10日・17日合併号にて松山は〈つき合いに関しては否定しない。ボクは、自分の人生の中で友達としてつき合ってきた。カラオケは一緒に歌うし、食事もゴルフもする。今後も友達としてつき合っていきます〉とコメントしている。また、TUBEのボーカル・前田亘輝も同じく稲川会と交流があり、パーティーに出席していたことが発覚している。
ただ、暴力団との関係が芸能人以上により深いのは「芸能プロダクション」である。芸能プロの場合は交際というレベルではなく、ビジネス上の構造的癒着があるからだ。
たとえば、演歌界の老舗事務所であり、今でも氷川きよし、水森かおり、岩佐美咲(元AKB48)といった売れっ子を擁する長良プロダクションの長良じゅん社長は興行のため暴力団との交際が幾度も噂されてきた。
また、AKBの運営会社にも疑惑は囁かれている。AKB48プロジェクトの創始者のひとりである芝幸太郎は「週刊新潮」(新潮社)2013年5月30日号にて、後藤組の後藤忠政組長の夫人がやっていたお店の記念パーティーに出席。山口組系暴力団幹部らと撮った集合写真をスッパ抜かれている。