沖縄戦であることが巧妙に隠された『ハクソー・リッジ』の広告
この作品はテレビCMも打って大々的に広告を行っているが、そこでも同様の宣伝が行われており、「ハクソー・リッジ」という言葉の意味を知っていない限り、これを沖縄戦の映画だと認識することは不可能に近い(ちなみに、映画の公式サイトや公式ツイッターアカウントといった閉じられた場ではさすがに沖縄戦の映画であることは明かされている)。
『ハクソー・リッジ』は完全に実話ベースの戦争映画であり、ここまで執拗に沖縄戦を描いた作品であることを隠すのには明らかに不自然だ。
ウェブサイト『BuzzFeed』で、取材に応えているキノフィルムズの担当者は、公開前日の6月23日が沖縄戦の戦没者を悼む慰霊の日であったことを挙げ、「タイミング的にも、変に煽るようなイメージにはしたくなかった。全国的にうたうのは避けた」としたうえで、このように語っている。
「沖縄の表記を前面に出していないのは、沖縄の方への配慮。舞台が沖縄であることにフォーカスして宣伝することで、観た後に複雑な思いを抱く人もいるのではないかと考えた」
「いろいろなご意見があることは認識している。直接寄せられた中にも、沖縄をもっと前面に出すべきという声も、逆に、このような“反日的な”映画を公開するのかという声もあった」
確かに、『ハクソー・リッジ』の沖縄の描き方には、問題を指摘される箇所がある。そのなかの筆頭が、沖縄市民の被害を一切描いていないということだろう。事実、前田高地のある浦添村では〈住民の44.6%にもおよぶ4,112人が死亡。一家全滅率も22.6%という状況〉(浦添市ホームページより)であったというが、この映画には沖縄の一般市民がまったく登場しない。
2014年に公開された『野火』で、フィリピン戦線において日本兵が置かれた地獄のような状況を映画化した塚本晋也監督も、「映画秘宝」(洋泉社)17年8月号で『ハクソー・リッジ』についてこのように語っている。
「沖縄の戦争の悲惨さは、住民の人が圧倒的に亡くなったことですので、映画はそういうところには触れませんでしたから、沖縄戦を描いた、というよりは、実在の人が働いた場所が沖縄だった、というあくまで“アメリカのひとりの英雄の姿を描いた娯楽作品”と思うべきなのかも知れません。宣伝文句から「沖縄戦」が消えているのは、そんな理由があるのでしょうか」