「南京虐殺はなかった、本当のこと」と断定発言までしていた稲田
しかし、問題は、稲田氏が今回たまたま「東京裁判史観の克服」という自分の本音を漏らしてしまったことにあるわけではない。ことの本質はそんなトンデモ歴史修正主義者が日本の防衛大臣という職についているという事実だ。
そもそも、稲田氏は政治家になる前から渡部氏や小堀氏らが展開する「東京裁判史観」否定論に大いに影響を受けてきた。「正論」(産経新聞社)の読者欄に投稿したり、「新しい歴史教科書をつくる会」の創設者・藤岡信勝氏が主宰する歴史修正主義団体「自由主義史観研究会」に入会している。そして、こうした活動がきっかけで「百人斬り裁判」に参加することとなり、自民党の若手議員の会で講師を務めたところ、安倍晋三本人から「次の選挙があったら出てもらったらどうだろうか」とスカウトされたのだ。
議員になってからも、その極右歴史修正主義はエスカレートしていった。たとえば稲田氏は「致知」(致知出版社)12年7月号に掲載された渡部氏、佐々淳行氏との鼎談で、東京裁判について「これは裁判と呼ぶに値しません。言ってみれば茶番です。東京茶番」と批判、続けて渡部氏が「そのことは私も『致知』の連載で繰り返し述べてきました」と合いの手を打つなど、見事な師弟関係を見せつけてきた。
しかも、稲田氏の歴史修正主義発言は「東京裁判史観」批判だけではない。この鼎談で稲田氏は、慰安婦問題について「謝罪を求められているのは、若い女性を強制連行して、慰安所に閉じ込め、無理やり慰安婦にした。それが日本の政府や軍の方針だったと。でも、そんな事実はどこにもありません」と主張。また、数年前には会見で「戦争中は慰安婦が合法であったのは事実だ」と発言し記者から追及されたこともあった。
また、あまり知られていないが、稲田氏はもっととんでもない歴史修正主義発言を行ったことがある。2012年、河村たかし・名古屋市長が役所を表敬訪問した中国共産党南京市委員会常務委員らとの会談で「南京事件というのはなかったのではないか」と発言したことをめぐって外交問題に発展。右派団体が一斉に河村市長を支援する集会やデモを行っていた時期のことだ。
稲田氏は「新しい歴史教科書をつくる会」が主催する「「河村発言」支持・「南京虐殺」の虚構を撃つ 緊急国民集会」に登壇。こう言い切ったのだ。
「南京虐殺はなかったんですよ。本当のことを言ってなんで批判されているのか、私本当にわかりません」
「日本の教育が悪い悪いといわれてますけど、総理大臣が『南京虐殺がなかった』といえば、そういう教育は全部終わってしまう」
本サイトでも何度も指摘しているが、この「南京虐殺はなかった」論は保守系の歴史学者の間でもありえないと批判されているトンデモ言説。稲田氏はそれをこの講演で堂々と語っていたのである。これでどこが「私は歴史修正主義者でない」などと言えるのか。まったく呆れて物も言えない。