村上春樹『職業としての小説家』(新潮社)
今月24日、村上春樹が複数巻にわたる長編としては『1Q84』(新潮社)以来7年ぶりとなる作品『騎士団長殺し』(新潮社)を出版する。大型書店などでは日付が変わると同時に発売を開始するカウントダウンイベントなども行われており、もうすっかり恒例行事となった村上春樹祭りが開かれている模様だ。
例のごとく、発売前に小説のあらすじなどが明かされることは一切なく、内容は秘密のベールに包まれているが、興味があるのは、今回の新作に村上の最近の政治や社会問題に対する関心が反映されているかどうか、だ。
たとえば、昨年の10月に村上は象徴的なスピーチをしている。日本ではあまり話題とならなかったが、昨年10月30日にデンマークで開かれたハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞の授賞式に参加した村上は、アンデルセンの小説『影』を取り上げながら、自らの「影」、すなわちネガティブな側面と対峙し受け入れることの重要性を説いた。加えて、それは個人の問題のみならず、社会や政治に関する問題でもあると語っている。
〈アンデルセンが生きた19世紀、そしていま私たちが生きる21世紀でも、必要なときに、自分の影と向き合い、立ち向かい、ときには協力だってしなければいけません。それには“正しい”知恵と勇気が必要です。もちろん、かんたんなことではありません。ときには危険が生じることもあるでしょう。でも、それを避けていたら、人は正しく成長し成熟することはできません。最悪の場合、『影』の物語の学者のように、自らの影に滅ぼされて終わってしまうかもしれない。
影と向き合わなければならないのは、ひとりひとりの個人だけではありません。社会や国家もまた、影と向き合わなければなりません。すべての人に影があるのと同じように、すべての社会や国家にもまた、影があります。明るく輝く面があれば、そのぶん暗い面も絶対に存在します。ポジティブな部分があれば、その裏側にはかならずネガティブな部分があるでしょう。
ときに、私たちはその影やネガティブな部分から目を背けがちです。あるいはこうした面を無理やり排除しようとします。なぜなら人は、自らのダークサイドやネガティブな性質を、できるだけ見ないようにしたいものだからです。しかし彫像が確固たる立体のものとして見えるためには、影がなくてはなりません。影がなければ、ただの薄っぺらい幻想にしかなりません。影を生み出さない光は、本物の光ではありません。
どんなに高い壁を築いて侵入者が入ってこないようにしても、どんなに厳しく異端を排除しようとしても、どんなに自分の都合にいいように歴史を書き換えようとしても、そういうことをしていたら結局は私たち自身を傷つけ、滅ぼすことになります。影とともに生きることを辛抱強く学ばなければいけません。自分の内に棲む闇を注意深く観察しなくてはなりません。ときには暗いトンネルのなかで、自らのダークサイドと向き合わなければなりません。もしそうしなければ、やがて、あなたの影はもっと大きく強くなり、ある夜、あなたの家のドアをノックするでしょう。「帰ってきたよ」とささやきながら。
傑出した物語は多くのことを教えてくれます。時代や文化を超えて学ぶべきことを。〉(編集部訳)