〈俺は時間を細かく計り、秒単位でボケを詰め込んでいた。流行りものに手を出して簡単な笑いを量産した。ツッコミの台詞。長さ。言い回し。頭を叩く箇所まで相方に指示をした。そのすべての行為が相方の主義を奪い去っていた〉
ユウキロックの先導がなくなった2人は新ネタをおろすこともほとんどなくなっていく。そして、仕事の関係もあり当初の予定からはズレたものの、大上からの呼びかけがなかったため、13年の「THE MANZAI」で決勝に残ることができなかったらハリガネロックは解散することとなった。ウーマンラッシュアワーが優勝を掴んだこの年、2人は2回戦を突破することもできなかった。そして解散が決まる。
ただ、ここまで読んでいくと、どうしてもユウキロックのひとりよがりな解散劇のようにも思えてしまう。しかし、そこには彼なりの反省と悔恨もあったようだ。
〈昔から俺は先輩に可愛がってもらえない。簡単に言えば俺は可愛くないのである。多分、人相が一番の理由だと思う。言い方はおかしいが「可愛い後輩」感がない。大阪時代も師匠の方々に可愛がってもらう芸人を見て、そう思っていた。近場の先輩とのお付き合いもそうである。例えば、劇場での昼食。最初は俺が誘われるが、その後は大上が誘われて継続する。俺には「いじられる」要素がないし、可愛げもない。大上には可愛げがある。コンビを結成する前に、俺がいつも大上といたようにみんなもまた大上を求めるのである。
だから俺はわかっていた。大上にはテレビで売れる要素がある。足を引っ張っているのは俺なのだ。それを隠して俺は偉そうにしていた〉
人相の問題なのかは分からないが、ここで彼が指摘していることは重要だ。ひな壇芸人全盛のテレビの現場において最も大事なのは「空気を読む」力であり、彼のような職人型の漫才師が求められる場所は実は少ない。
『爆笑オンエアバトル』(NHK)に『M-1グランプリ』(テレビ朝日)と、2000年代前半に一世を風靡した若手お笑い芸人ブームを用意した2つのコンテスト。その両番組内でトップランナーのひとつであったハリガネロックがその後の芸人人生でたどった道は、21世紀の日本のお笑い文化がたどった変化を象徴するものであり、彼らはその変化の坩堝に最もネガティブなかたちで巻き込まれてしまったコンビなのかもしれない。
(新田 樹)
最終更新:2017.11.15 06:18