『芸人迷子』(扶桑社)
「M-1グランプリ」準優勝、「爆笑オンエアバトルチャンピオン大会」優勝、「ABCお笑い新人グランプリ」最優秀新人賞、「NHK上方漫才コンテスト」最優秀賞──数々の大型漫才コンテストで華々しい成績を残してきた漫才コンビ・ハリガネロック。しかし、ユウキロックと大上邦博の2人は、2014年3月22日に解散した。「お笑いブームも終わった」と言われて久しいが、ここまで成功をおさめたコンビが解散することはなかったため、この解散が大きなニュースとなったのは記憶に新しい。
なぜ2人は解散したのか? 決して売れていなかったわけではないし、お笑い好きからは一貫して評価され続けてきたコンビの解散理由をユウキロックが赤裸々に明かした著書『芸人迷子』(扶桑社)が話題を集めている。
もともと2人は別々のコンビで活動していた(ユウキロックはハリガネロック以前、コンビ「松口VS小林」で活動。相方は後のケンドーコバヤシである)。ユウキロックは活動のなかで徐々に広がり始めたコンビ格差の状況に悩み、〈「松口VS小林」が売れても俺は売れない〉との思いから解散を切り出す。そして生まれたのがハリガネロックであった。
「じゃない方芸人」が始めたコンビという評価からのスタートではあったが、ライブを大事にし続けてきたが故の圧倒的な客ウケを武器に賞レースを勝ち上がっていく。03年には漫才コンビとしては異例となる渋谷公会堂での単独ライブも開催し成功をおさめた。
しかし、結成10年目を迎えた頃からだんだんと歯車は狂い始めていく。その後は、コンテストの傾向を考えたうえで臨んだM-1グランプリでも芳しい成績を残せなくなり、ついには決勝進出すら難しくなってしまう。そして、そんな迷走期のなかで決定打となったのが、05年のM-1王者となったブラックマヨネーズの漫才であった。
吉田敬の異常な「心配性」に小杉竜一がアドバイス、その助言を吉田が混ぜっ返し、さらにその返しに苛立ちながら小杉が応え、漫才はうねるような笑いを生んでいく。ブラックマヨネーズはハリガネロックより後輩だが、2人の個性がぶつかり合いながら笑いを生み出していくその漫才は、ユウキロックにとって理想の漫才のかたちであり、そのM-1グランプリでの漫才は彼に衝撃を与えた。
〈明確なボケはない。ボケとツッコミというパート分けも細かく存在しない。主義と主義。イズムのぶつかり合い。これこそが俺が問い続けた漫才の答え〉