実際、マキタスポーツも、芸人たちは政権風刺を「やれない」のではなく「やらない」のだと分析する。一流の芸人であれば、技術的にはそのようなネタをつくることはたやすい。しかし、前述したようなゲームのルールを把握している彼らは風刺芸には手をつけない。マキタスポーツは、綾小路きみまろを例に、こう説明している。
〈綾小路きみまろさんは、年寄りイジメなネタをやりますが、“安倍イジメ”みたいなネタも出来ると思うのです。でも、しない。それは彼が、徹底して普遍的なターゲットを絞ったビジネスマンであると同時に、お年寄りをネタにするのが“大好き”だからだと思われます。大は小をかねるじゃないですけど、あそこまで大衆と出会った芸を作り上げた人なら、政権批判みたいなネタだってマインドがそれを許せば能力的には全然できます。でも、それをしない〉(「TV Bros.」16年10月8日号)
しかし、この国のお笑いは本当にそれでいいのだろうか。ヒトラーを徹底的に揶揄したチャールズ・チャップリン、英国王室、教会、軍人、警察など硬直した権威の欺瞞を茶化し続けたモンティ・パイソンなどの伝説的なコメディアンの例を出すまでもなく、お笑いやコメディというものは、大衆が権力に対して持ち得る数少ない武器として機能してきた。
映画ライターの高橋ヨシキ氏は、モンティ・パイソンが「アーサー王伝説」をパロディ化し王室や教会を徹底的にバカにし尽くした映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』を題材に、コメディの本質的な役割についてこう説明している。
「まあ、もともとコメディっていうのはそういうことをするジャンルなはずですね。つまり、権力をもっている方が強いに決まってるんだから、もってない側は何が出来るかっていったら、何も出来ないんだったらただ押さえつけられるだけになってしまうんですけれども、その代わりこっちはギャグにして笑い飛ばすことぐらいは残されているっていう。それが許されなくなるんだったら、ホントそれは恐怖社会ですよね」(『すっぴん!』16年7月8日/NHKラジオ)
しかし、いまの日本のお笑い芸人たちは、お笑いがもつ大切な役割を自らゴミ箱に放り投げようとしている。
ウェブサイト『東京BREAKING NEWS』内の連載「ほぼ週刊 吉田豪」のなかで、ライターの吉田豪は、昨年4月に亡くなった愛川欽也が、かつて爆笑問題の番組にゲストで呼ばれたとき、二人から「司会業やってて、なにを一番大事にしたらいいんですか?」という質問に返した、こんな言葉を紹介している。
「日本もひっくるめて、世界中を見渡してみて、本当に理想の国ってあるかい? テレビやラジオでものをしゃべる人間は、いつもどんな時代が来ようとも、ユートピアが生まれない限り、野党じゃなきゃダメなんだ。野党が今度政権取ったら、また野党になれ」
愛川欽也のこの言葉を、ニュースコメンテーター芸人たちに聞かせてやりたい。
(新田 樹)
最終更新:2017.11.12 02:13