「そういう気持ちがとてもあります。もちろんありますが、それでも父なので……。すごく憎んでるんですが、憎めない。捨てきれないというか、誰を責めていいのかわからない状態です」
彼を追い詰められていった経緯には、そういった複雑な家庭事情があった。しかし、なぜその発露が女子高生の制服だったのだろうか? その謎を解く鍵は、彼が学生時代に抱いた「コンプレックス」にある。公判で高橋はこのように語っている。
「小学校から中学に上がってすぐに、今で言うイジメのようなものがありました。クラスに馴染めず、特に小学校までは普通に話していた女子にからかわれたり、笑われた印象が強くあり、(この時、彼女たちが)小学校とは違い制服を着ていたイメージが残って、劣等感や女性に対してのコンプレックスが生まれたのではないかと思っています」
早稲田大学人間科学部教授の森岡正博氏は、著書『感じない男』(筑摩書房)で制服にフェティシズムを抱く男の心理を、「制服」を「学校=洗脳の場」の象徴と捉えていることを前提に、「少女たちを洗脳して自分に従わせたい」という欲望の発露なのではないかと分析していた。
〈彼女たちは、まるで、「私のことを洗脳して!」「私のことを、あなたの好きなように洗脳してもいいのよ!」と言っているように私には見えるのである〉
〈制服少女を見たときに、私が抱いてしまうところの、「ああ、私はこの少女を洗脳してもいいのだ。この少女の脳の中身を書き換え、私のことを本気で好きになるようにマインド・コントロールし、メイドのように従わせることが許されているのだ。そういう危ないことをしても、誰からも非難されないし、この少女本人がそれを望んでいるのだ」という自分勝手な妄想こそが、制服少女の清涼感とゾクゾク感の秘密だったのである〉(『感じない男』)
しかし、高橋の場合はそういった「洗脳への欲求」といったものよりもむしろ、自身のつらかった過去への復讐といった側面が強くあるのかもしれない。ただ、それが現実の少女へ向かわなかったのは、青春時代に抱かざるを得なかったコンプレックスゆえの対人恐怖があったからだと推察される。
「新潮45」記事では、公判中に彼が「女性は怖い」と繰り返し語っていたと綴り、さらに、高橋をよく知る人からの「彼は、女性との性体験が一度もないって言うんですよね」との証言を紹介している。実際、高橋自身、公判ではこのように語っていたようだ。
「結局、中身というと変ですけど、女性という人間に対しては、劣等感とか怖い部分があるので、モノである制服に向かったのではないかと思います」