シェルター内で入所者が自由に行き来できるのは3階部分だけで、食事や風呂などすべての生活はこのフロアで行われた。部屋は2人で1部屋。施設内では支給されるピンク色のポロシャツとベージュのズボンを着用する決まりがあり、私服を着る機会はなかったという。そして、シェルターにいる間は名前ではなく番号で呼ばれることになる。まるで刑務所のようだが、番号で呼ぶのにはきちんとした理由があり、職員はこのように説明したと言う。
「これから山下さん(引用者注:春日野氏の結婚時の姓)のことは、17番と呼びます。ご主人の苗字で呼ばれるのは嫌でしょうし、お名前を呼ぶことで個人情報が漏れるのは好ましくないからです。お名前は他の入所者にも教えないようにしてください。プライベートに関することは、なにも話さない方がいいでしょう」
このシェルターに入所している人は心身ともに傷ついているうえ、ほとんどの人が離婚をめぐる裁判を抱えてデリケートな状態にあることからの配慮だった。事実、入所者の多くは精神科に通院しており、睡眠薬などを処方されていた(薬はその都度職員からもらい、服用時は職員の前で飲み干さなくてはならない。もちろん、自殺防止のためだ)。
個人情報保護のため、入所者同士プライベートに関することは話さないほうが良いと職員は勧めたが、しかし、そんな忠告などなくとも状況が状況なだけに入所者同士が会話を交わすことはほとんどなかったと言う。そんななか、入所者がリラックスし、雑談らしき会話が交わされる数少ないスペースが喫煙室だった。ここにはテレビとマンガ本が置いてあり、タバコを吸わない人もそれらの娯楽を目当てに集まってきたという。
心身ともに疲れきってるなか裁判資料に目を通さねばならない入所者にとってマンガは活字疲れを癒し、そのうえ現実逃避もさせてくれる貴重な娯楽だった。だが、そのなかにほとんど読まれていないマンガがあったと春日野は語る。
それが『サザエさん』である。やはり、ふつうとされる家庭生活を描いたマンガは現実とのギャップを再認識させてしまうため読むのがつらいのだろう。というか、職員側もそれぐらいのことは察して本棚から外してあげるぐらいの気配りはあってもいいような気がするのだが……。
そして、もうひとつ入所者の心を癒してくれる貴重な娯楽がテレビだった。本書にはシェルター内でのテレビ事情に関してこのように書かれている。